2024年を振り返って
年末に2024年の1年を振り返るつもりでした。
年末の押し迫ってから風邪をひき寝込んでいました。
新しい年を迎えましたが、昨年を振り返ってみると、2024年も旅を楽しだことを思い出します。
5月に五島列島を訪れました
五島列島と言えば真っ先に食とキリシタンを思い出します。
島の旅の楽しみは新鮮な食材です。五島列島では期待を上回る豊富な食材を楽しむことができました。
それもどの店で食べても外れはありませんでした。
島で食べたうどんもおいしかったし、お土産に買ってきたうどんもgoodでした。
こちらで食べるうどんとは違った食感です。
私の日常生活で教会にあまり縁がありません。
あまりなじみのない教会ですが教会のイメージはどの教会も同じようなものです。
しかし、五島列島の教会はそれぞれ個性があるものでした。
毎日、教会を見て回っても飽きることはありませんでした。
久賀島には牢屋の窄殉教記念教会がありました。
ここでは12畳ほどの狭い牢に200名あまりが押し込められました。
これは畳1枚あたり17人という狭さで、横になることもできず、排泄もその場にしなければならないという想像を絶する惨状でした。
信徒たちは8ヵ月にわたりこの状況を耐えしのびましたが、飢えや病、拷問のために39名が死亡し、出牢後の死者3名を加えると42名の信徒が命を落としました。
何故、命を落としても棄教しないのか。
それだけ現実世界が厳しかったと思います。
被災地のフクシマと能登を訪れました
フクシマをどうなっているんだろう?そう思うと居ても立ってもおられず福島を訪れました。
震災遺構では津波の被害の大きさを目の当たりにしました。
フクシマ原発の周辺はまだ立ち入り禁止区域が広がっていました。
復興までの道のりはまだ遥かであり、自分たちの世代でめどは立たず、若い世代に任せなければならないことに申し訳なく思いました。
9月には豪雨が襲いました。
学生時代に訪れた能登の地。
被災地の今がどうなっているのか気になり訪れました。
復興への道のりの遠さに声を失いました。
福島も能登も震災です。震災が引き金を引きました。
私が住む高知県も南海大震災が近い将来起こると言われています。
私は「今後30年以内の発生確率80%」という数字を信じていません。
しかし、日本のどこにいても震災から免れることはできないことは事実です。
福島、能登の復興支援に心を配りながら、身近な防災に心がけていきます。
海外からのアクセスが急増
12月にブログへのアクセス数が急増しました。
このブログには私の知人、友人が訪れてくれるくらいで日々のアクセス数は少ないものです。
いや、ゼロの日がほとんどです。
それが12月に急増しました。
誰がそんなに覗いてくれているんだろう?とおもって統計情報を見るとなんと海外からのアクセスがほとんどです。
きっと高知県出身で海外在住の方が私のブログを見つけ懐かしくなってご覧になってくださっているのではないかと想像しています。
これからも気ままにお立ち寄りください。
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