能登の被災地を訪れてきました

 寄り添って話を聞き一緒に涙を流す、そんな支援も必要ではないかと感じました。








11月中旬に能登に行きました

金沢からIRいしかわ鉄道で七尾まで向かいました。
学生たちで混んでいた車内も30分もすると立っている人はいなくなります。
郊外に行くと車窓には「さすが加賀100万石」と思わせる農地が広がっていました。

この路線も被害があったが、数週間で運行を再開したそうです。


七尾でのと鉄道七尾線に乗り換えます。
ここまでは電化区間でしたが、のと鉄道の車両はディーゼル車です。
余談ですが、のと鉄道の七尾と次の和倉温泉駅間は架線があります。
なんでもJRが特急「かがり火」を乗り入れていてそのための架線なんだそうです。
ローカル線を切り捨てておきながら特急だけは走らすとはなんとも身勝手です。

和倉温泉駅でレンタカーを借りて輪島に向かいます。
和倉温泉辺りまでは地震の被害を窺うことができませんでしたが、穴水町に近づくと道路にデコボコのところがあり、屋根にブルーシートがかかっている風景が目に入ってきます。

この写真は仮設住宅です。


穴水町駅前の駐車場です。
断層と思われる路面の隆起が駅舎から駐車場、前の道路を横断しています。

道路はデコボコのところが多く、車にガツンと衝撃が走り、「お!」と感じることがありました。
のとさとやま海道(自動車専用道)は一般車両も通行可能ですが、パンク事故が多いそうです。


復興工事真っただ中の輪島


倒壊したビルの画像が衝撃的だった輪島市に近づくにつれ傾いたままの電信柱や交通標識が目につくようになりました。

輪島市内では信号も傾いたままでした。





倒壊したビルの解体作業が始まっていました。








朝市を行っていた周辺は一面焼け野原。

もう50年近く前のことです。学生時代、テントを担いで能登半島を一周しました。
その時、輪島の朝市にも寄りました。
座布団を畳んだようなおばあさんが列になってお土産物を売っていたことを覚えています。
その朝市もいまは開催していません。


火災には遭わなかったものの倒壊したままの民家も目につきました。
公費解体を待っています。

このような貼り紙のある倒壊した家屋をあちこちで見かけました。







倒壊したビルの前の電柱に貼り紙がありました。

「地震で行方不明
まいご猫もっち
メス9才 避妊済み
マイクロチップ登録あり
明るいグレーの洋猫見かけた方はご連絡ください」

元の生活を取り戻すにはまだ道半ばです。





生活再建の期間の支援


輪島に行く途中の穴水町は輪島市ほどの被害はなかったものの道路はデコボコ、被災した建物が目につきます。
お土産物屋も食べるところも見当たりません。
やっと見つけたカフェレストランに入ると胡蝶蘭が沢山ありました。
奥さんに聞くと「元日の地震で被害を受けた。壁は崩れ、カウンターも沈み込んだ。
新築するお金がなく、大工さんにお願いし建物を直してもらい、11月8日にやっと再開することができた。
近所の皆さんは、もう店を畳むだろうと思っていたようで、再開してくれてありがとうと贈ってくれた胡蝶蘭です。」
とエプロンをぎゅっと握りながら見知らぬ旅人の私に被害の大きさ、復興の大変さを話してくれました。

輪島塗会館では職員さんが「地震もそうだけど9月の豪雨被害がひどかった。
会館の1階も浸水したし、駐車場には泥が1mもたまった。
止めていた車は使い物にならなくなった。」とここでも被害の大きさ、復興のしんどさを話してくれました。




被災し苦労した方は自分の体験を聞いてもらいたい、自分の頑張りを認めてもらいたいと思っているのではないでしょうか。
今年の正月の震災からもうすぐ1年になります。
応急的な復興から生活再建に向けての復興に移るこの時期、被災した方の話を聞き「大変だったね」「よく頑張ったね」と一緒に涙を流し、「応援しています」と声を掛けることが被災者の方のこれからの復興の一層の力になるのではないかと感じた旅でした。









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