五島列島の旅 福江城編「日本最後に築城されてご一新」

 

福江(石田)城址を見学し、話を聞くことができました。
福江城は築城してすぐに取り壊されました。
ご一新(明治維新)ですね。
城址や今も維持管理されている庭園なども見事なものでした
更にご一新から現代に至るまでの旧城主の話を伺うと、教科書で学んだ明治維新とはまた違うエピソードを知ることができました。



ネット上には沢山の情報が溢れています。
以下では私の短い滞在で見聞きし、印象に残ったことを紹介します。
詳細な情報を知りたい方は他のサイトもググってみてください。


福江藩と五島氏

五島列島全体が福江藩の領土でした。
領主は五島氏です。
石高は1万5千石です。
鐙瀬(あぶんぜ)ビジターセンターの床に五島列島を中心にした地図があります。
東京までは1,000km以上あります。
上海は700~800kmです。
1,0000km以上ある江戸まで参勤交代をしていました。
長崎に渡り九州を横断し瀬戸内海を通って大阪(上方)に上がり、あとは東海道で向かったそうです。
供揃えは30数名。
江戸に入る前に”臨時藩士”を現地採用をして体裁を整えたそうです。

1万5千石の福江藩ですが、功績のあった家臣に3千石の領地を分け与え富江藩として分藩した時期があります。
福江島の南に今でも富江という地域があります。
分藩し本家は1万2千石となりました。
1万石以上を大名と言います。
3千石の富江藩は大名の格ではないのに、参勤交代を命じられていたというからきつかっただろうなぁ、と思います。

名目の石高は1万5千石ですが実際の石高はもっとあったんではないか、と思います。
そのことを地元に方に聞くと「そのようです。江戸から巡視に来た役人にこの向こうは何もない、と言ってみせなかったと聞いています」と笑っていました。

福江城築城

幕末になると五島列島近海に異国船がたびたび来訪するようになりました。
やっと幕府から築城の許しが出て、1863年に完成しました。
日本で最後に築城されたお城というわけです。
総工費は2万両。現在のお金で約25億円だったそうです。
2万両のうち、9千両は幕府からの借り入れでした。
しかし、返済はしなかったそうです。

明治維新

築城からわずか9年後、明治維新でお城は取り壊されてしましました。

面白いのはここからです。
明治政府に取り上げられたお城跡を五島氏が買い戻したのだそうです。
築城の際の借入金も返済していないのに、と思いましたが、もう幕府はないので返しようがありませんね。
それにしても買い戻すお金がよくあったものだと不思議に思います。

帰高後、友人にこの話をすると、旧城主が買い戻した例を教えてくれました。
玉藻城(香川県高松市)は9千円で買い戻したそうです。
松山城(愛媛県松山市)は久松男爵が3万円から4万円(当時の1円は今の1万円相当)で買い戻し、更に維持管理費、補修費を上乗せして、松山市民の憩える公園にするためにと松山市に寄贈したそうです。

いやいやご一新のこうした話は聞いたことがなく、とても興味深かったですね。

現在の福江城址 今でも五島家の個人所有


買い戻した五島氏はこれからは若者の教育が大切だと本丸跡を寄贈し今は県立五島高校が立っています。
北の丸跡と二の丸跡は今でも五島家の個人所有です。
北の丸跡は市に貸与し五島観光歴史資料館、文化会館が立っています。
二の丸跡には盛成公の隠居所として造られた五島氏庭園(国指定名勝)が当時のまま残っています。
庶民は相続税は大丈夫だろうかと心配してしまします。
現在のご当主は東京に住み、2ケ月に一度、福江に戻ってきて、五島氏庭園によく立ち寄るそうです。
市民や観光客とも気さくに言葉を交わす姿がよく見えるそうです。
旧城主が今でも城址を個人所有しているのは福江の五島家だけではないでしょうか。


武家屋敷通り

福江城址のすぐ近くに武家屋敷通りがあります。
この一帯は中級武士の屋敷があった地域です。
上級武士の屋敷跡は昭和37年の福江大火で消失してしまいました。

せめて今あるものだけでも残そうとしています。
石の塀が特徴的です。





山本二三(にぞう)美術館

武家屋敷通りに山本二三美術館があります。

山本二三美術館(長崎県五島市) | 公式サイト (goto-yamamoto-nizo-museum.com)

「長崎県五島市出身のアニメーション映画・美術家 山本二三氏。『天空の城ラピュタ』『火垂るの墓』『もののけ姫』『時をかける少女』等、画業約40年の間、数々の名作アニメーションで美術監督を務めてきました。当館は山本二三氏の描いたアニメーションの背景画や、五島を描いたオリジナルの絵画を展示する美術館です。」hpから

館内にはラピュタなどでみた背景画が沢山飾られていました。


二三氏のアトリエを再現した部屋です。










五島の女性はとても人懐っこくてお喋りが好きでした

武家屋敷通りにあるふるさと館。

市が運営しているそうで、女性の方が在館しています。
入っていくとさっと出て来て、いろいろと話しかけてくれ、教えてくれます。





五島庭園跡です。
ここも職員さんがいて、説明をしてくれます。
特定の女性が人懐っこくて、おしゃべりが好きなのではなく、どの方もサービス精神が旺盛でたくさん話をしていただきました。



日本各地の旅先でお城を訪ねることがあります。
沢山の地元の方に話を伺うことができたお城は初めてでした。
とても心に残るお城でした。


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