五島列島の旅 教会編「迫害・拷問・殉教の歴史と今の教会の静謐な佇まい」
五島列島には50ものカトリック教会があるそうです。
各教会はそれぞれ異なる佇まいでした。
どの教会も静謐な雰囲気にあふれていました。
私が回った教会をご紹介します。
世界文化遺産として「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
2018年、世界文化遺産として「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録されました。
五島では
頭が島の集落 :頭が島天主堂
奈留島の江上集落 :江上天主堂
久賀島の集落 :旧五輪教会、牢屋の窄
が登録されています。
教会や天主堂のみが登録されているのではなく、集落として登録されています。
教会や天主堂はその構成要素の一つです。
堂が浦教会(福江島)
内部(撮影不可)にはキリシタン史の紹介や沢山の資料が展示されていました。
絵踏み(踏み絵)のレプリカも展示されていました。
教科書で習った歴史の証人を間近に見ることができました。
キリシタン迫害の像です。
遠藤周作の「沈黙」を原作とした映画「沈黙-サイレンス」(巨匠マーティン・スコセッシ監督)。
海の中に磔を立て、干満の波に洗われるキリシタンの姿を思い出しました。
「牢屋の跡」の碑が立っています。
「久賀島カトリック信者囚獄の跡」の碑です。
清潔な白い壁が特徴的な教会でした。
五島観光歴史資料館(福江市)で観ることのできるビデオで、「この島で一番かわいい女の子」がこの教会で登場します。
牢屋の窄(さこ)記念教会(久賀島)
福江港から久賀(ひさか)港へ。
レンタカーを借りて島内を巡りました。
ここは久賀島全体が世界遺産として登録されています。
遺産としてふさわしくない奇抜な建物の建築はできないそうです。
牢屋の窄記念教会です。
教会と牢屋。
何とも相容れないものです。
朝日新聞によると
何ともすざましい内容です。
人間が人間に対しこのようなむごい仕打ちをすることができることに驚きます。
それ以上に、これだけの苦難に晒されても信教を捨てなかった信者の信念に驚きます。
この碑の文章です。
「久賀島カトリック信徒囚獄の跡
江戸幕府に続く明治政府のキリシタン弾圧により、明治元年9月、久賀島の信徒が捕らえられ、激しい火責め、水責め、算木責めの拷問を受け、10月には内上平集落の信徒の家をこの地に移して牢とし、老若男女 200余名が収容された。この牢屋は奥行き 3間、間口 2間6坪の家牢で、中央が仕切られて男女別々に監禁された。
狭隘な牢内では身動きすることも困難で人の体にせり上げられて足さえ地に着かない者もあって、さながら人間の密集地獄であった。3日目には足が腫れ上がり、食べ物は芋の小切れを朝夕に 1個ずつ、飢えと苦痛のため死者が続出した。
死体は次第に密集地獄の下に、踏みつぶされて腐敗するが 5日間も放置され、蛆がわいて人体に這い上がり、その上、その場に放尿排便せねばならぬので、その不潔さと臭気は言語に絶する惨状で 13歳のドミニカたせは、蛆に下腹を食い破られて死亡した。10歳のマリアたきは、熱病におかされて頭髪は落ち、「私はバライゾ(天国)に行きます。お父さんもお母さんもさようなら」の一語を残して息を引きとった。その妹マリアさもは 7歳の幼女であったが、「イエズス様の五つの御傷に対して祈らねばなりません」と言い残して息が絶えた。
かくして在牢 8ヵ月殉教者 39名、信徒の頭 9名はそのまま牢に残され全員の出牢が許可されるまでには 3箇年を要した。彼ら信徒は孜々として生業に励み、忠実に法に従う良民であったが、信仰に忠実、神の掟を重んじたというだけでこの責苦を受けたのである。明治政府は、絶対主義神道国家確立をはかり、祭政一致を唱え、その政策の犠牲となったのがカトリック信徒である。
久賀島のカトリック教徒は、あどけない幼児から 60余歳の老人に至るまで超人的精神力をもって、この比類のない苦痛に耐え忍び、信仰の自由と良心の尊厳とを身をもって主張し、
信仰に生きる久賀島カトリック信者の魂の偉大さを発揮したものである。」
日々の生活の厳しさからパライゾ(天国)に希望を期待したのでしょう。
それほど日常の生活が厳しかったのかと慄然とします。
旧五輪教会(久賀島)
狭い山の中を進んで行くと車を止めるところがあります。旧五輪教会が世界遺産として登録されているように誤解されがちですが、この教会も世界遺産の構成要素の一つです。
浜脇教会(久賀島)
久賀港近くの山の中腹に海に向かって立っています。
真っ白なマリア様
五島列島は5つだけでなく沢山の島があります。
浜脇教会の向こうにも島々が見渡せます。
江上天主堂(奈留島)
福江島から奈留島に渡り、レンタカーを借りて江上天主堂に行きました。
江上天主堂が立つ江上集落が世界遺産として登録されています。
木立の中に立つ白の壁と薄い青の窓の教会です。
パッと見て、屋根にクルス(十字架)が立っていません。
説明の方に聞くと「たぶん、台風の強風で吹き飛び、その後、立てていないのだと思います。」とのことでした。
教会の方に教えてもらいました。
「表の屋根に十字架がない代わりに、裏に面白い細工をしていますよ。
木を十字架の形に切り抜き、お日様が当たると壁に十字架が写ります。」
周りのうっそうとした樹木の上にお日様が出てくるのが10時過ぎです。
待っているとお日様の光が射してきました。
見事に壁に十字架が出現しました。
この江上地区に住んでいる家はたった一軒です。
必要に応じて奈留地区にある奈留教会から神父さん、信者さんが来ています。
その奈留教会の信者さんの家も120軒ほど。奈留島の人口約3,000人の10%に満たない人数でしょう。
少ない信者さんで江上教会、奈留教会を維持していくのは並大抵のことではないと想像します。
江上天主堂では、壁や柱には手を触れないことが求められます。
壁や天井を支える円柱は木製で、表面には木目があります。
実は、この木目は信者さんが描いたものなのです。
手で触れると描かれた木目が消えてしまうので、見るだけです。
また、壁の下部は石造りです。
石の表面には沢山の落書きがあります。
まだ江上地区に子供がたくさんいた時代、教会が遊び場でした。
子供の遊びの一つ、落書き。
世界遺産の構成要素として消さずに残しています。
頭(かしら)が島天主堂(上五島)
上五島(中通島)に渡ってきました。
上五島の中通島から橋を渡って頭が島へ。
ここ頭が島集落が世界遺産として登録されています。
車を降りて少し歩くと、石造りの天主堂が見えてきます。
巡礼のツアーが次々にやってきました。
石造りの塀と門が目を引きます。
上五島には29の教会があり、司祭さんは10名足らず。皆、掛け持ちだそうです。
頭が島の集落の住民も少なく、ミサがある時には上五島から信者さんが来るのだそうです。
イエス様の背中です。イエス様からこうした景色が見えているんですね。
青砂が浦天主堂(上五島)
レンガ造りの天主堂。中の浦教会(上五島)
海岸のすぐそばに立つ中の浦教会。奥の方は”コウモリ天井”、手前の方は平らな天井となっています。
入り口側の壁のステンドグラスです。
この上には聖歌隊が並ぶ部屋があります。
以前は、この地区にも子供が多くかわいい声の聖歌が響いたようですが、少子化で聖歌隊が揃わないそうです。
五島列島を訪問し、多くの教会・天主堂を拝見しました。
沢山の教会・天主堂を見て回っている間に思ったことがあります。
維持費はどうしているんだろう?
信者の数は多くはありません。
一つの教会・天主堂で10名、20名ではないでしょうか。
入館料や入場料を求められたことは一回もありません。
お寺や神社であれば賽銭箱がどんと座っています。
なんだか罰が当たりそうで、いや、ご利益を信じて賽銭を投げ入れます。
でも、カトリック教会・天主堂では賽銭箱に当たるものは見当たりません。
時には「寄付金箱」が座っていることもありますが、ほとんどの来訪者は入れていません。
どうやって維持しているんだろうと疑問に思いました。
多くの教会・天主堂で、屋外にイエス様、マリア様の白い像が置かれていました。
どれもその白い像がきれいなんです。
汚れがありません。
藻が生えていることもありません。
鳥の糞なんて落ちていません。
頻繁に清掃をしていることが伺えます。
それでも像がすり減っていることもありません。
どうやって白い像を汚れさせず、摩耗させず清潔に守っているのか不思議でした。
迫害の歴史と今の教会・天主堂の静謐さのギャップに落ち着きませんでした。
牢屋の窄だけではありません。
キリシタンの歴史は迫害、拷問、殉教を抜きにしては語れません。
頭が島天主堂に展示されていました。「キリシタン拷問五六石の塔」とあります。
キリシタンの太ももにこの石を乗せたのでしょうか。
その過酷さを想像すると、人間がここまで残酷になるのか、と恐ろしくなります。
どんなに過酷な迫害、拷問であっても、神は現れませんでした。
遠藤周作は「沈黙」で何を書こうとしたのでしょうか。
そうした迫害、拷問、殉教の歴史と今の教会・天主堂の静謐さのギャップになにか落ち着くません。
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