奇跡の一本松とこの国の行方
2011年の東北大震災による津波は陸前高田に大きな被害をもたらしました
陸前高田市の海岸沿いには高田松原があり、350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り 、陸中海岸国立公園(現 三陸復興国立公園 )や 日本百景 にも指定されていた景勝地でした。しかし、2011年の東北大震災の津波の直撃を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されて壊滅しました。
その中で奇跡的に耐え残った松が、高さ約27.5ⅿ、幹の直径約90㎝、樹齢はおよそ170年と言われる「奇跡の一本松」です。高田松原と奇跡の一本松/陸前高田市ホームページ (city.rikuzentakata.iwate.jp)
津波にも耐え、流されずすくっと立つその姿は復興のシンボルとなりました。
しかし、その一本松も震災の翌年の2012年に枯死が確認されました。
震災直後から市民のみならず全世界の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を今後も後世に受け継いでいくため、モニュメントとして保存整備(伐採→防腐→保存→元の場所に設置)されました。
しかし、その一本松も震災の翌年の2012年に枯死が確認されました。
震災直後から市民のみならず全世界の人々に復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を今後も後世に受け継いでいくため、モニュメントとして保存整備(伐採→防腐→保存→元の場所に設置)されました。
奇跡の一本松保存プロジェクト/陸前高田市ホームページ (city.rikuzentakata.iwate.jp)
pamphlet-j.pdf (city.rikuzentakata.iwate.jp)
皆さんの思い、創意工夫により、いまでも陸前高田の海岸に行くと奇跡の一本松を見ることができます。
pamphlet-j.pdf (city.rikuzentakata.iwate.jp)
皆さんの思い、創意工夫により、いまでも陸前高田の海岸に行くと奇跡の一本松を見ることができます。
津波てんでんこ そして決して戻らない
陸前高田市を襲った2011年の東北大震災の津波の高さ17.6ⅿにも及びます。当時の住民2万4千人のうち、約1,800名の死者・行方不明者を出しました。この犠牲者数は岩手県内最大です。
当時の当市の津波浸水域内に居住していた人口に対する犠牲者率は10.6%にも上ります。
この犠牲者率は津波により被災した岩手、宮城、福島3県内で海岸を持つ37市町村で最大となりました。
2011年の東北大震災の津波は1回、2回で終わらず24回も繰り返し襲ってきたそうです。
1回目の津波が最も高いわけではなく、後から押し寄せる津波が高いこともあったようです。
津波で運ばれた軽トラが、日暮れ前の位置から一夜明けるともっと陸側に移動していたことから夜中に襲った津波の高さが前日の昼間の津波より高かったことが分かります。
津波てんでんこで命からがら避難した人の中には、津波が引いたときに貴重品を家に取りに帰り、後から来た津波の犠牲になった方もいるそうです。
津波てんでんこで避難したら、戻らない。
これが鉄則だそうです。
高田松原津波復興祈念公園
陸前高田海岸は、被災した状況から立ち直り、流された瓦礫もなく、今では高さ15ⅿの新たな防波堤ができ、海岸一帯は高田松原津波復興祈念公園として整備されています。
高田海岸には新たに高さ15ⅿの堤防が建設されています。
堤防の海側には、松の苗木がびっしりと植えられています。
いつか震災前の白砂青松の砂浜になることでしょう。
堤防から陸側を振り返ってみると広い芝生とその先に東日本大震災津波伝承館と道の駅の建物があります。
この公園内に奇跡の一本松が立っています。
左側の建物は被災したユースホステルの建物です。
当時の被害のままで残っています。
この場に立つと自然に手を合わせ、頭を垂れ、被災者の皆さんのご冥福を祈らずにはいられませんでした。
(参考)復興工事の様子は鹿島建設のHPに資料が掲載されています
(参考)復興工事の様子は鹿島建設のHPに資料が掲載されています
陸前高田地区 海岸復旧工事 | 東日本大震災における鹿島の取組み | 鹿島建設株式会社 (kajima.co.jp)
地震の多い日本列島に住む私たちは地震から逃げることができません。
堤防などの大規模な防災工事が行われ、海岸沿いには津波避難タワーが建設されています。
現実的な話ですが、復興の資金は個人の力ではいかんともしがたく、国に頼らざるを得ません。
では、その国は自然災害後の復興資金をどう備えているのでしょう。
根本的なことで考え違いをしているように思います。
大きな災害や恐慌のない時代に、復興資金を積み立てておくことができる国にならないものでしょうか。
2011年の東北大震災で大きな被害を出した地域は、被災者を悼みつつ復興を成し遂げ新しい生活をスタートさせています。
地震の多い日本列島に住む私たちは地震から逃げることができません。
地震に遭遇したとしても命をつなぎ、次の世代のために復興を果たしていくことが求められます。
堤防などの大規模な防災工事が行われ、海岸沿いには津波避難タワーが建設されています。
家庭や自治体でも防災対策・訓練が行われています。
これらはいずれも地震や津波からまずは身を守るためのものです。
生き延びるためのものです。
私たちが過去の災害から学んだことです。
自然災害から身を守り生き延びることができれば、次のステップとして復興に力を合わせなければなりません。
現実的な話ですが、復興の資金は個人の力ではいかんともしがたく、国に頼らざるを得ません。
東北大震災の被害総額は約17兆円で、復興予算はおよそ32兆円。 東日本大震災の被害総額は約16兆9000億円、内閣府が推計 | ロイター (reuters.com)
復興予算 32兆円はどう使われた? | NHK政治マガジン
必ず来ると言われている首都直下型地震の被害額は95兆円、東南海大震災の被害額は220兆円と予想されています。いずれの大震災の被害予想額は東北大震災のそれに比べて巨額です。二つの大震災の被害予想額を足すと300兆円にも上ります。日本のGDPは約550兆円。とんでもない被害が想定されています。
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必ず来ると言われている首都直下型地震の被害額は95兆円、東南海大震災の被害額は220兆円と予想されています。
では、その国は自然災害後の復興資金をどう備えているのでしょう。
景気回復のためと言って赤字国債を恒常的に発行してきました。
しかし、一向に景気は上向きません。
この間に債務の額は膨大な額に積みあがっています。
オリンピックや万博で景気浮揚を狙うことには時代錯誤さえ感じます。
次に自然災害が起これば、復興に必要なお金は復興国債を発行して賄うというのでしょうか。
被害想定額から復興資金は東北大震災の比ではありません。
国債で賄えるでしょうか。
国債でまかなえたとしても、最近の円安、日本売りの状況を見ると、自然災害からの復興のために巨額な赤字国債の発行は、円安・日本売りを招き、将来的な日本の国力を落とすことになりかねないと思います。
被害想定額から復興資金は東北大震災の比ではありません。
国債で賄えるでしょうか。
国債でまかなえたとしても、最近の円安、日本売りの状況を見ると、自然災害からの復興のために巨額な赤字国債の発行は、円安・日本売りを招き、将来的な日本の国力を落とすことになりかねないと思います。
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