大船渡のほろ苦いサンマ

大船渡で食べたサンマは、ほろ苦いサンマでした。







やっと訪れることができた被災地

行きたい、訪れたいと思いつつ東北大震災からもう11年が経ち、「もう、今更」と思わぬでもありませんでした。
そんな時、「海蝶 鎮魂のダイブ」(吉川 英梨 講談社)を読みました。

日本ただ一人の海上保安庁女性潜水士”海蝶“を主人公にした海洋小説です。彼女が高校生の時に大船渡で東北大震災に遭遇する場面から話は始まります。彼女は海上保安庁に入隊し、厳しい訓練を経て海蝶になります。
「海蝶 鎮魂のダイブ」は、一人の女性が海蝶として活躍する海洋小説とは別に、「東北大震災はもう視聴率、販売部数をとれるニュースではなくなったかもしれないが、被災者一人一人は今でも消えない心の傷を負っている」と訴えていました。
この本を読み、「そうだ。今からでも遅くない。被災地に行こう。」と思い立ち、やっとその地に赴くことができました。


物語のスタートとなった大船渡を訪れました

朝、高知空港を発ち小牧空港経由で岩手花巻空港に降り立ち、レンタカーで大船渡に着いたのは午後3時。
この大船渡が海蝶の物語がスタートした場所です。
高い場所から大船渡市街を見ると、瓦礫など被災地を感じさせるものは何もありません。

もう11年以上も経つのですからね。

しかし、津波に洗われたであろう区画には古い町並みはなく、きれいに区画整理された土地に量販店、飲食店やホテルなどの新しい建物がまだらに立つ様子はいかにも復興市街地です。


一般住宅は津波が来た場所を避け高台に建てるのだろうと思っていると、復興市街地の中にぽつぽつと新築住宅の姿を見ることができます。

震災被害のモニュメントもなく、知っていなければ被災地とは分かりません。



新しく埋め立てた新しい町並み、と言われればそう思うでしょう。

もう被災地ではありません

ホテルのフロントで「被災地」と言っても、響きません。
ハッとして、「大船渡の皆さんは、『もう被災地とは言われたくない』と思っているのではないですか?」と聞くと、若いフロントマンは
「もうずいぶんと時が経ちましたからね。でも、それ(被災地)を利用しようとする人も中にはいます。」と静かに答えてくれました。
海産物販売店の親父さんが言っていました。
「震災後の5年間は復興特需があった。その次は被災地観光で賑わった。そして、コロナでばったり人が来なくなった。」
震災復興、被災地の名目で人ものカネが動く期間は過ぎ、地元で経済を回し独り立ちしなければと前を向いて生活をしています。
未だに被災地だと思って訪ねる旅人の上から目線の驕りなのだと、震災の瓦礫のひとかけもないきれいな復興市街地を振り返り、呟きました。


大船渡のサンマはほろ苦い味がしました

その晩は、大船渡で食事をしました。
三陸と言えば海産物の宝庫。
特に今の季節はサンマです。
高知ではなかなかいいサンマに出会うことがありません。
ほろ苦いはらわたを食べたくてサンマの塩焼きを注文しました。

運んできてくれた女性に「高知から来ました。今年初のサンマです。皆さんはいつもたくさん食べているんでしょうね。」と話すと、「今年はまだ食べていません。サンマは買うものではなく、もらうものでした。でも、サンマは不漁で、地元で回してくれることはなくなりました。買おうにも高くて、とても手が出ません。ですから、私たちはサンマを食べることができません。」



この夜のサンマのはらわたは、今まで食べてきたサンマの中で一番ほろ苦い味がしました。



震災から11年も経つのですから、街に瓦礫はありません。
きれいに区画整理された新しい街ができています。
震災復興の人ものカネの動きから、自立した経済に移行しています。
当時のことが心には引っかかっているとしても、数日間、滞在する旅人にうかがい知ることができろうはずもありません。
もし、うかがい知ることができたとして何をすることができるでしょう。
もう、「被災地に行く」ではなくなった時の流れを感じる旅でした。



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