アイランド・ホッピング 2島目 日本最西端の島・与那国島
4月中旬に7泊8日で沖縄本島・八重山諸島の8島をアイランド・ホッピングで巡ってきました。
島を一つずつブログに上げています。
島を一つずつブログに上げています。
二島目は日本最西端の島・与那国島です。
私の個人的な思い、実際に私が経験したことをお話しします。
与那国島の一般的な情報はお手数ですが、ググってください。
与那国島には那覇からエア便が出ています
与那国島へのアプローチは那覇からのエア便と、石垣島からのエア便、船便があります。石垣島からの船便は週2便であり、欠航することもあるのでタイトな日程で使うのは憚られます。
今回は那覇からエア便で与那国島に行き、帰りはエア便で石垣島に渡ることとしました。
那覇→与那国島のエア便は一日に3便。与那国島での時間を有効に使いたいので第一便の朝の7:15発で向かいました。
乗客はと見ると観光客は少ないようです。
作業服を着た土木関係者が目立ちます。
同じ会社の人と思われる人も同行しています。
高知を出発して羽田→那覇→与那国島でやってきました。
その気になれば簡単に来ることができます。
一緒の飛行機で来た人たちは次々にレンタカーに乗って走っていきました。
レンタカー会社の人に聞くと「防衛省や建設会社の人がたくさん来ている。今の与那国島の経済は自衛隊基地建設で持っている。今日のお客で個人客はあんただけだ。」とのことでした。
道理でなかなか宿が取れないと思いました。
一般国民が通常の交通手段で到達できる日本の最東西南北端をフォーエッジと勝手に名付けています。
最東端は納沙布岬
最西端は与那国島の西崎(いりざき)
最南端は波照間島
最北端は宗谷岬です。
今回の旅の目的の一つ、その最西端にやってきました。
ここが日本の西の端なんですねぇ。
ワン エッジ クリアです。
西崎と書いて「いりざき」と読みます。
陽が沈むその先に台湾があります。
その距離は110数km。
残念ながら肉眼では見ることができません。
ここが日本の西の端なんだ、と言っているように感じます。
今回の旅にはどうしても訪れたい3つの場所がありました。
一つ目は日本最先端の与那国島・西崎。
2つ目は日本最南端の島・波照間島。(3日後、訪れます)
そして3つ目は次にお話しする久多良バリです。
久多良バリ
過酷な人頭(にんとう)税の負担を軽減するために生まれてくる子供の数を制限する、そのために妊婦を地面に開いた3.5ⅿの裂け目を飛ばせるという発想にショックを覚えました。
多分、その頃、私が幅跳びで3.5ⅿも飛べなかったからでしょう。
この年になっても覚えているくらいですから相当なショックだったと思います。
実際に岩の裂け目の近くに立ってみると向こう側までの距離、裂け目の底までの深さに足がすくみました。
小学校の時、この話を学び、自分がきっとこの地を訪れるだろう、と思ったことがやっと実現しました。
いつの時代も政のしわ寄せは弱いものに向かいます。
岩の裂け目に立ち頭を垂れ、手をあわせました。
Dr.コトーの診療所
映画「Dr.コトー診療所」の舞台は架空の島・志木那(しきな)島です。
実際のロケは与那国島で行われました。
そのロケ地の診療所を見学できます。
写っている白衣の人は観光客。
そう、映画の最後では診察室からこの青い海にフォーカスが移っていきました。
映画の場面を思い出しながら、見学できました。
断崖絶壁の景勝地
与那国島の周囲は断崖絶壁です。
まさに絶海の孤島です。
軍艦岩です。軍艦岩と同じように侵食され取り残された岩が屹立しています。
景勝地であると同時に、大勢の軍隊が上陸するには不向きな地形だ、などときな臭い思いも浮かびました。
牛や馬が放牧されています
東崎(あがりざき)は緑の芝生と放牧された牛や馬の風景がありました。遠くから見ると芝生の緑がきれいでしたが、近くに行くと馬糞、牛糞がいっぱいでした。
子牛をパシャパシャと撮影していると牡牛に「不審者だな」と角で小突かれました。
放牧と言ってもほぼ野生です。
海と海岸と牛。
馬を驚かさないようにゆっくり走りましょう。
なお、東崎の馬は頭の大きいちょっとロバ風の固有種・与那国馬です。
テキサス・ゲートと言います。
正門で写真を撮っていると中から隊員さんが出てきました。
「観光客の方ですか?」
いろいろ話をしました。
7,8年前、通信基地ができた当時は正門前に40,50人の方が「自衛隊は要らない」と抗議をしたこともあったそうです。
挨拶運動、空港周辺道路の清掃を続けることで少しずつ受け入れてもらったそうです。与那国島には大きな集落が3つあります。その3つに官舎を置き、地元の行事に積極的に参加しているそうです。11月には与那国島一周のマラソン大会もあり、参加もしているそうです。1km4分で走るが、島の人は元気で負けた!と話をしていたのが印象的でした。
不思議な経験と島を守るということ
与那国島には飲食店が少なく、且つ、臨時休業が多く、食事をする場所探しに苦労しました。
飲食店が少ないからでしょうか不思議な経験をしました。
道を尋ねた人と翌日、別の集落の喫茶店で会いました。
それとは別にそば屋で隣にいた人に翌日、別の集落の港でトラックに荷物を積んでいるところに出会いました。
「同じ人に別の場所で出会うことが何度もあり驚きました」と言うとレンタカー会社の方は「この島では住民が少ないうえに、行く場所も限られているから、同じ人に繰り返し会うことがしょっちゅうですよ。」とのことでした。
与那国島の人口は約1,650人でその内250人が自衛隊関係者です。計算上、自衛隊以外の住民は1,400人です。戸籍は残したまま島外に出ている人もいて実際に住んでいる住民はさらに少ないと聞きました。
高齢化が進んでいます。以前は多くの民宿で食事を提供していました。最近は民宿の経営者の高齢化で食事の世話をする体力がなくなり、素泊まりの民宿が増えているそうです。
このまま住民が減り、高齢化が進んで行くといずれ与那国島には自衛隊関係者しかいないことになりかねません。あるいは、異国から沢山の住民が入ってくるかもしれません。
住民減少、高齢化はどこの地方でも起こっています。それが国境の島となるとまた違った意味があるように思います。
南西諸島への自衛隊配備やGDP2%の軍備増強などとは別の視点でこの島のこと、この国のことを考えることも大切ではないかと感じた旅でした。
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