アイランド・ホッピング 南の島の旅を振り返って

 
4月中旬に7泊8日で沖縄本島・八重山諸島の8島をアイランド・ホッピングで巡ってきました。
高知に戻って来て早や2週間が経ちます。
南の島々が懐かしく思い出されます。
今回のアイランド・ホッピングを思い出しながら印象に残ったことを綴っていきます。




フォーエッジのうち、ツーエッジに足を運ぶことができました

一般国民が通常の交通手段で到達できる日本の最東西南北端をフォーエッジと勝手に名付けています。
最東端は納沙布岬
最西端は与那国島の西崎(いりざき)
最南端は波照間島
最北端は宗谷岬です。
今回の旅では最西端の与那国島の西崎、最南端の波照間島に行くことができました。

与那国島の西崎です。

雲が広がり、日本で最後の夕陽を見ることはできませんでした。

日本最南端の波照間島です。
周りは険しい断崖を伴う海岸です。
本当に何もありませんでした。






小学校の教科書でショックを受けた久多良バリ

この話を小学校の教科書で習った時、ショックを受けました。

過酷な人頭(にんとう)税の負担を軽減するために生まれてくる子供の数を制限する、そのために妊婦を地面に開いた3.5ⅿの裂け目を飛ばせるという発想にショックを覚えました。
多分、その頃、私が幅跳びで3.5ⅿも飛べなかったからでしょう。
この年になっても覚えているくらいですから相当なショックだったと思います。
実際に岩の裂け目の近くに立ってみると向こう側までの距離、裂け目の底までの深さに足がすくみました。
いつの時代も政のしわ寄せは弱いものに向かいます。
小学校の時、この話を学び、自分がきっとこの地を訪れるだろう、と思ったことがやっと実現しました。

日本最西端の島、日本最南端の島は他の島とは違った印象でした

日本最西端の島・与那国島、そして、日本最南端の島・波照間島はそのほかの石垣島、小浜島、竹富島、黒島とは違った印象でした。
端っこ(エッジ)という理由に加え、石垣島から日帰りができないか、できるかの違い、つまり、観光客の多寡の違いもあるようです。
(1)とにかく与那国島、波照間島の海はきれいでした
石垣島の周辺の島の海も青く澄んできれいです。
でも、与那国島、波照間島の海に比べると見劣りします。
これはやはり絶海の孤島だから、人の生活の汚れが少ない、に尽きると思います。
(2)与那国島、波照間島への観光客は多くいませんでした
観光客もいます。
でも、石垣島から気軽に日帰りできる、午後からまた別の島に渡ることができる島々とは違い、観光客は多くありません。
(3)与那国島、波照間島には大きな観光施設はありません
(4)与那国島も波照間島の人口減少、高齢化が目立ちます

波照間島には一つの集落があり、5つの共同売店がありました。
島にはコンビニもありませんから、観光客もこの売店で物を買いました。
共同売店には集落の高齢者が手押し車でゆっくりゆっくり歩いて買い物に来ていました。
集落の共同売店であり本来は地元住民のための売店です。
島の方々は口には出さないものの、バタバタと慌ただしく島を巡って翌日には帰っていく旅人を快く思っていないのではないかと心配になりました。
旅はその土地に住む人々の生活に多かれ少なかれ影響を与えます。
特に与那国島、波照間島への訪問は南の島、リゾートの感覚ではなく、できるだけ島の人々に迷惑をかけないことを心がけて出かけなくてはならないと思いました。

島を守ること 国を守ること

日本最西端の島・与那国島にしても、日本最南端の島・波照間島にしても人口減少、高齢化が進んでいます。
与那国島には自衛隊の通信基地があり、今後、ミサイル基地も設置が予定されています。
八重山諸島への自衛隊の駐屯が世間の耳目を集めています。
防衛費をGDP2%に引き上げようとしています。
こうしたこともこの国を守るために必要なことだと思います。
しかし、このまま人口減少が進んで行くと、この”島”を維持していくことが困難になることが予想されます。
島の住民は自衛隊関係者だけになる。
異国からの住民がたくさん入ってきて、独立を宣言する。
まさかとは思いますが、このまま放っておいていいものだろうかと思います。
自衛隊の駐屯や防衛費GDP2%の議論とはまた違った視線でこの島、この国を守る議論が必要ではないかと思います。


八重山諸島でのマラリア被害

黒島では人より牛が多い理由にマラリアが関係していることを知りました。
帰高後、ネットで調べると「戦争マラリア」が出てきます。
戦前、戦後を通じて八重山諸島では多くの方がマラリアで命を落とされています。
そこで思いだしたのが波照間小中学校の塀に書かれたいた詩のことでした。

波照間小中学校の塀に平和学習記念として平成5年度卒業生が作詞作曲した「星になった子供たち」という曲が書かれていました。








(一)南十字星 波照間恋しいよ
星になったみたまたち
ガタガタふるえるマラリアで
ひとりふたりと星になる
苦しいよさむいよ
お母さん
帰りたい帰りたい波照間へ
(二)南風見の海岸に
きざまれている忘れな石ということば
戦争がなければこどもたち
楽しくみんな遊んでた
さびしいよ いたいよ
お父さん
帰りたい帰りたい波照間へ
(三)みんなでたましいをなぐさめようよ
みんなでなかよくくらそうよ
66名知らない世界に逝ってしまったこと忘れない
静かにやすらかにねてください
平和な平和な波照間に

戦争中、沖縄本島のような米軍の上陸はなく、空襲など戦争による直接的な犠牲者は178人だった。一方で、マラリア原虫を媒介するハマダラカが多くいる山間部への避難によって、住民にマラリア感染が爆発的に広がり、3647人が命を落とした。

とあります。
この史実を学んで中学生たちが作った詩だったのです。

自分は本当に何も知らない
痛感しました

一人旅もいいけどやっぱり仲間がいると楽しい旅になります

今回の旅は途中で友人が合流してくれました。
私は一人旅も厭いません。
でも、友人が来ると当然ながら会話が生まれますし、一緒に体験することで一層楽しくなりますし、そして何より食事が楽しくおいしくなります。
日本最南端の波照間島で海に入りました。
私一人なら絶対にしないことです。
でも、スイミング好きな友人に誘われてこの通りの”雄姿”になりました。

え?他の人の目に触れて大丈夫かですって?
普段なら海水浴客で一杯になる西浜ですが、この日は小雨が降ったりやんだりで私たち以外に人がいませんでした。
どうぞご安心ください。


価値観や興味の対象の異なる友人が一緒にいると自分ひとりの旅とはまた違った視点で物を見ることができますし、体験ができます。

旅に出るには
(1)旅に出たいという意欲、興味 
(2)行動に移すことのできる体力 
(3)金銭的に少しの余裕 
    そして、できれば
(4)一緒に行ってくれる友人
が必要だと思います。
いつまでもこの4つを大切にし、持ち続けたいと思っています。

石垣島の料理はおいしい

石垣島で食べた料理はどれもおいしかったですね。
南の島ならではの食材を楽しむことができました。

刺身は旨い

四方が海だから魚は豊富です。
南の海の魚の刺身はどうだろう?と不安になることはありません。

新鮮でいろいろな種類があり、おいしくいただくことができます。

旅先でおいしい刺身があることはいい旅の条件ですね。




あばさー(ハリセンボン)のから揚げはぷりぷりして美味しい

「ここで食べておいたらいいものは何?」と聞くと感じのいい仲居さんが「ハリセンボンはどうです?」と勧めてくれました。
「食べる、食べる!」
「口から血が出ますよ」と笑いながら持ってきてくれました。
その身のぷりぷりしたこと!
鶏とも違う。フグとも違う。
今までで食べたことのない食感でした。

初日の那覇の牧志公設市場の写真を見直すと「アバサーが写っていた!」

サングラスをかけた魚がアバサーです。
括弧で「ヒトヅラハリセンボン」とあります。
やっぱりハリセンボンですね。
更に写真を見ているとありました。
「皮を剥がれたあばさー!」

沖縄県産の色とりどりの魚の右の下に皮を剥がれたアバサーが重なっておかれています。
この不気味な、と言っては失礼な魚があんなにぷりぷりの身だなんて、思いもよりませんでした。


スクガラス豆腐

私はお豆腐が好きです。
メニューにお豆腐が載っているとつい頼んでしまいます。
豆腐料理でそんなに驚いたことはないのですが、これは出てきたとき、「なんだこれ!」と声を上げていました。




スクガラスとはアイゴの稚魚の塩辛だそうです。
それを島豆腐に乗せたものがスクガラス豆腐です。
スクガラスに発酵したような塩味があるので醤油をかけずにいただきました。
不思議なお豆腐料理でした。





豚足のから揚げ


豚足のから揚げです。
豚足は一度だけ食べたことがあります。30年ほど前、地元の自警団の初午の寄り合いで食べましたが、ぱさぱさしておいしくも何ともありませんでした。その後、口にすることはありませんでした。
でも、店の女の子がおススメだ、というものですから頼んでみました。
アツアツを恐る恐る口に入れるとコラーゲンがトロトロ!
美味しいのです!
豚足もこうして食べるといけますね。
同じ素材でも料理によってこんなにも違うものになるのだ、と驚きました。


竹富島は今も昔の風情を残してくれていてまた訪れたい




屋根の上にはシーサー。

尻尾が上がっているのは「尻上がりの幸せ」を祈ってのことだそうです。





集落を散策していると三線の音を流しながら水牛車がゆったりとやってきます。








竹富島の集落にはこの写真のように白い砂を敷いた道と石垣が残っています。
道もアスファルトにすれば管理もしやすいでしょうが、島の風情が損なわれます。
石垣もメンテナンスが大変だし、ハブが入るので他島ではブロック塀を推奨しているとも聞きました。
ブロック塀と石垣が混在するのではなく、集落内はすべて石垣です。
この写真は小中学校の校庭を囲む石垣です。
コンクリート塀でなくここでも石垣です。
そして始業前に生徒さんたちが道を清掃し、拾い、石垣の下に生えてきた草を引いています。
教育施設でも景観を守ることを大切にしています。





竹富島では白い砂の道と石垣など昔の風景を残す努力を継続されている島民の皆さんに感謝します。


こうして振り返っていると、今度はいつ行こう、と思っている自分がいます。
石垣島、竹富島、今回は行けなかった西表島にそれぞれゆっくり滞在する旅をしたいですね。
行く前には、自然、歴史、民俗、風俗を学ぶことを忘れないようにしたいと思います。



















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