内園明日美さんの個展の案内状 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 日曜日, 12月 26, 2021 内園明日美さんの初個展の案内状が届きました。「この葉書がどんな人のところに届くのだろうと思うと、わくわくします」の彼女の思いが込められています。都合がつく方は、ぜひ、足をお運びください。 開催概要時:2022年1月9日~23日於:高知市桜井町1丁目4-5 コレンス GALLERY E | コレンス (lifecolors.co.jp) 駐車場がありませんので、車でおいでの方は近隣の駐車場をご利用ください。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
九重連山の平治岳で圧巻のミヤマキリシマ 月曜日, 6月 09, 2025 ミヤマキリシマを観に九重連山の平治岳(ひいじだけ)に登ってきました。 10年に一度と言われるほど見事に咲きほこったミヤマキリシマに息をのみました。 出発は長者原 九重連山の登山口の一つ・長者原(ちょうじゃばる)から登ります。 数日前は雨模様でしたが一昨日から回復。 この日も絶好の登山日和です。 長者原から九重連山の山々が見えます。 「で、どの山に登るん?」 「さぁ」「さぁ」「さぁ」 高齢者の遭難が増えるはずです。 「まさかあんな所まで行くはずない」 「気のせいやろ」 などと言いながら出発です。 急な上りで、私たちが通り過ぎた直後に大きな木が登山道に倒れてきました!! タイミングが少しずれていたら木の下敷きになるところでした。 木には葉っぱがあり枯れた気配はありません。 でも、根が腐っていたようです。 自然に入ると何が起こるか分かりません。 単独行ではなくパーティーを組んで山に入ることが大切だと実感しました。 樹林帯の中で、登り始めた長者原がよく見える場所があり、休憩。 それにしても見晴らしのいいところがあったもんだと思うと、長者原を見通せるように伐採していました。 国立公園なのに伐採していいのか?と疑問を持ちました。 そう言えば友人から「日本の樹林は伐採してもすぐに元に戻ることから環境省も伐採を認めるようになった」と聞いたことを思い出しました。 雨が池 登りきると広いくぼ地に出ます。 雨が池です。 この当たりは雨が降ると池になるから「雨が池」なのだそうです。 周りの山からセミ(エゾハルゼミでしょうか)や鳥の声が聞こえます。 気持ちのいい風が通り過ぎていきます。 一緒に登った友人と並んで写真。 雨が池を過ぎた峠が雨が池越えです。 そこを少し下ると見晴らしのいいところがありました。 ここも伐採されています。 二つピークがよく見えます。 この山がこれから向かう平治岳だと聞き、「あんな所まで行くんか」という不安の声と「おぉ、山が赤い!ミヤマキリシマが咲いている!」の期待の声が錯綜します。 平治岳のピークのアップです。 遠くからでもピンクに染まっていることが分かるほどのミヤマキリシマの群生です。 坊がつるも見下ろすことができます。 気持ちの良さそうな平地です。 テントも沢山張っています。 坊がつるに連泊する登山者も多いそうです。 坊がつる 坊がつるに行ったことがなくても「坊が... 続きを読む
「乱歩と千畝」 おすすめの一冊です 月曜日, 6月 30, 2025 「乱歩と千畝」(新潮社)を読みました。 感想は一言「おもしろかった」です。 『乱歩と千畝─RAMPOとSEMPO─』 青柳碧人 | 新潮社 乱歩とはもちろん探偵小説家の江戸川乱歩。 千畝とはもちろん外交官の杉原千畝。 千畝の小さい頃、友人から「せんぽ」と呼ばれていたそうです。 ですから「乱歩と千畝」は「らんぽとせんぽ」です。 以下、新潮社のHPから引用します。 探偵作家と外交官。若き二人が友となり……斬新な発想で描く波瀾万丈の物語。 大学の先輩後輩、江戸川乱歩と杉原千畝。まだ何者でもない青年だったが、夢だけはあった。希望と不安を抱え、浅草の猥雑な路地を歩き語り合い、それぞれの道へ別れていく……。若き横溝正史や巨頭松岡洋右と出会い、新しい歴史を作り、互いの人生が交差しつつ感動の最終章へ。「真の友人はあなただけでしたよ」──泣ける傑作。 小説家の門井慶喜さんのコメントです。 楕円形の歴史小説 門井慶喜 江戸川乱歩の業績はよく知られている。「二銭銅貨」や「D坂の殺人事件」などの短編で日本の推理小説の基礎を築き、少年探偵団シリーズで人気を博して別格の存在感を示した。昭和40年(1965)に没したあとも現在に至るまで読者が多く、その生涯についても伝記や評伝が何冊も書かれている。 あるいはまた、杉原千畝の業績も。第二次大戦中、外交官としてリトアニアのカウナス領事館にいたとき、大勢のユダヤ人を含む難民たちにビザを発給して国境を通過させた。その生涯を記した本はやはり多く、テレビの教養番組などでもしばしば「命のビザ」とか「東洋のシンドラー」とかいう手短な語句とともに取り上げられる。 つまりは、どちらも歴史上の有名人である。しかしその二人を組み合わせて一つの物語にするという発想はこれまでになく、もっぱら青柳碧人の独創にかかる。『乱歩と千畝─RAMPOとSEMPO─』はまったく新しいタイプの歴史小説なのである。 さて、一見どこにも接点がなさそうなこの二人、はじめて会ったのは、早稲田大学の近くの三朝庵という蕎麦屋だった。 たまたま相席になったのだ。ただし年が六つ違う。乱歩はもう早稲田を卒業している。けれども会社づとめが性に合わず、このころは昼は団子坂で古本屋をやり、夜は屋台を引くという不安定な生活をしていて、その屋台で出すものを考えるため、この店評判のカツ丼なるものを... 続きを読む
広島平和記念公園でグッときました 火曜日, 6月 10, 2025 息子が小学高学年の時以来ですからもう約25年ぶりに広島を訪れました。 平和記念公園で小学生の姿におもわずぐっと来てしまいました。 広島二中の碑 「夏休みにどこに行きたい?」と聞くと息子のこたえは「広島に行きたい」。 「なぜ」と続けると「教科書にある『広島二中の碑』を見たい」とのこと。 そうした経緯でその年の夏の旅行は広島に行くことになりました。 中国新聞 ヒロシマの記録-広島ニ中 以下、上のリンク先(中国新聞 ヒロシマの記録ー広島二中)からの引用です。 広島市中区の平和記念公園の本川左岸にある慰霊碑は、おびただしい数の死没者を刻む。高さ一・五メートル、横五メートルの石碑の裏面をたどると、生徒三百四十四人、教職員八人の名前がある。「広島県立広島第二中学校」の戦災死者遺族会が三十八年前に建立した。死没者の多くは、原爆が投下された一九四五年に入学して間もない十二、十三歳の少年たちであった。 六学級からなる一年生は八月六日朝、碑が立て旧中島新町にいた。国家総動員法により、本川に架かる新大橋(現在の西平和大橋)東詰め、中島地区一帯の建物疎開作業に動員されていた。整列し、引率教師の訓示が終わろうとするころ、原爆投下機エノラ・ゲイの機影が頭上にあった。 爆心地から約五百メートル。少年たちは瞬く間に吹き飛ばされ、火の渦に襲われた。ある者はその場で息絶えた。意識を取り戻した者は、目の前の本川に飛び込んだ。 六日夕、捜しに入った母親は「水際に至る迄(まで)重なるように重傷の子供充(み)ち、水中のイカダにもたれて叫ぶのもあり」と、光景をとどめた。七日朝に着いた父親は「屍(しかばね)は既に膨張し、どれもこれも同じ様な容貌(ぼう)」と、焼け残りの着衣やベルトで息子を確かめるしかなかった。 全身やけどで自宅にたどり着き、また救護所に運ばれた少年たちは、ひん死の中で父や母の名を呼び、友らの身を案じた。声を振り絞って軍歌を歌い、「天皇陛下万歳」を唱えた。「国のために尽くすことが当然という時代、教育でした。それでも、あこがれの二中に入学でき、懸命に生きていました」。八十代後半になる母や、応召や動員体験を持つ兄や姉たちは感慨を込めて話した。 今回の「遺影は語る」は、広島二中の碑に刻まれた一人ひとりの最期を追った。学制改革の翌四八年に芸陽高校、四九年に現在の県立広島観音高校とな... 続きを読む
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