今はまだ人生を語らず
畑仕事をしながら見上げると真っ青な秋の空。
ぼーっと見上げていると、頭の中に空に立ち上る煙の画像が思い浮かびました。
その時、ふと口をついたのは「タバコの味と人生は煙になってわかるもの。」でした。
組織では公正公平に人を評価し、人から評価されることが永遠の課題
先日、会社勤めの時、一緒に仕事をしたコンサルタントの方が高知に来て、食事をする機会がありました。
40才代の彼は大きなプロジェクトを任されているとのことで、バリバリの経営コンサルタントです。
話題が自然にプロジェクトメンバーの評価・考課のことになりました。
「プロジェクトでは多くの若手コンサルタントと一緒に仕事をしている。
一人一人のコンサルタントの人事評価・考課は、
プロジェクトごとにリーダーがメンバーの評価・考課を行い、
全体で調整するんだけど、なかなか難しい」とのこと。
プロジェクトリーダーの彼にしても、上司から評価・考課されています
組織としてメンバーを公正公平に処遇するには、公正公平な評価・考課が基本です。
でも、人を公正公平に評価・考課することは難しいものです。
組織には永遠に付きまとう課題です。
そして、人を評価する、人から評価されることは当人にとって大きなストレスだと思います。
今は何をするにしても一人です
日々の生活に戻り、家庭菜園をしているときに、彼との話を思い出しました。
今の生活は”人の評価・考課”とは全く無縁な生活であることに気付きました。
今は何をするにしても一人です。
誰を評価する必要はありません
家内とネコたちとの生活です。
家内は別として誰かと一緒に何かをするということはまずありません。
そうなるとほかの人を評価する必要がありません。
誰からも評価されることもありません
家内とは独立した生活をしていますので掃除も洗濯も炊事も自分の思うようにできます。
家庭菜園も強制されたものではなく、自分の思うようにできます。
少々洗濯物にしわが入っていようが誰にも何も言われません。
家庭菜園は日々、「ああすればよかった」、「そうか、そうしたらいいんだ」と気づくことがありますが、いつ出かけようが誰にも何も言われません。
誰からも評価されることはありません。
今の生活がストレスなく快適なのは人を評価・考課することもなく、人から評価・考課されることもないからなのかもしれません。
リタイヤ生活は人の評価・考課、人からの評価・考課と無縁の生活です。
快適な日々の理由の一つだと思い至ります。
「タバコの味と人生は煙になってわかるもの」
人生の最後にどんな煙を出すかは、人からの評価・考課を気にすることなく、自分の価値観に素直に、正直に従って過ごした結果だと思っています。
そうは言っても、煙になるにはまだ早い。
「今はまだ人生を語らず」
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