信州にある戦没画学生慰霊美術館・無言館に行ってきました
戦没画学生慰霊美術館・無言館
リタイアして6年目、戦後80年の今年、やっと行くことができました。
戦没画学生慰霊美術館・無言館
信州上田にある私設美術館です
館長の窪島さんは、戦争の記憶を風化させないために、戦没画学生の遺作を収集し、無言館を設立しました。
もうどの本で読んだのか記憶にありませんが、「こんな美術館があるのか、いつかは行ってみたい、いや、行かねば」と思いました。
やっと今回、訪れることができました。
無言館には上田電鉄で向かいます
無言館の最寄り駅の塩田町駅までは上田電鉄別所線で行きます。駅員さんは「QRコードは読み解き機械の設備投資も少額であるし、定期もスマホで購入できるので私たちのような小さい鉄道会社にとっては助かります」とのことでした。
上田駅から塩田町駅まで片道420円。
往復840円。
これから乗る車両が高架をやってきました。
運転手さんに聞くと「東急電車のおさがりです」とのことですが、よく手入れされています。
上田電鉄の多くの駅は無人駅です。
ここからは塩田線循環バス別所温泉方面に乗り換えです。
無言館まで約5分、200円です。
山の中腹の芝生の広がる公園にバス停があります。
駐車場もあります。
この日は団体バスが2台に乗用車が4,5台ほどが止まっていてほぼ満車でした。
アクセスについては無言館のHPに掲載されています。
電車とバスの乗り継ぎをスムーズにするためにも無言館のHPを参考にするといいと思います。
駐車場から無言館までは坂道を5分ほど登ります
無言館
日の入る疎林の道を上っていくと林の中に無言館があります。コンクリート打ちっぱなしの質感が慰霊美術館であることを語っています。
無言館のHPから画像をお借りしました。
壁には戦没画学生の作品が展示され、通路には遺品やエピソードなどが展示されています。
きっと訪れる人は少ないだろう、ひょっとしたら私一人かもしれないと思っていきました。
しかし、館内は大勢の人が熱心に見ていました。
入り口近くに日高安典(ひだかやすのり 1918-1945 種子島出身)さんがが恋人を描いた「裸婦」がありました。
外は出征兵士を送る日の丸の小旗が振られていた
生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くからと安典は
モデルをつとめてくれた恋人にそう言い残して戦地に旅立った
しかし、安典は帰ってこられなかった
日高安典 フィリピンルソン島にて戦死 享年27歳」
(下に紹介したブログからお借りしました)
朝の連続テレビ小説「あんぱん」で千尋の慟哭「愛する人のために生きたい」を思い出しました。
あの当時の若者の多くはそんな思いを胸に秘め、戦地に赴き、散ったのですね。
偶然、この日高安典さんの「裸婦」のモデルになった恋人の記事を見つけました。
2021年8月15日放映されたNHK日曜美術館「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」の中で、戦没画学生の日高安典さんと、彼の裸婦像のモデルになった彼の恋人のことにも触れられていたそうです。
恋人が来館し無言館の感想文ノートに記したようです。
このことを紹介するブログがいくつかあります。
その中で詳しく載っているのは次のブログのようです。
yachikusakusaki's blog
https://yachikusakusaki.hatenablog.com/entry/2021/08/15/153628
安典さん.
日高安典さん 私来ました.
とうとうここへ来ました.
とうとう今日,あなたの絵に会いにこの美術館にやってきたんです.
私もうこんなおばあちゃんになってしまったんですよ.
だってもう50年も昔のことなんですもの.
安典さんに絵を描いてもらったのは,あれはまだ戦争が激しくなっていなかった頃でした.
安典さんは東京美術学校の詰め襟の服を着て,私の代沢のアパートによく訪ねてきてくれましたね.
私は洋裁学校の事務をしていましたが,知人に紹介されて美術学校のモデルのアルバイトに行っていたのでした.
あの頃はまだ,遠い外国で日本の兵隊さんがたくさん戦死しているだなんていう意識がまるでなくて,毎日毎日,私たちは楽しい青春の中におりました.
安典さん.あの小雨の降る下北沢の駅で,勤めから帰る私を,傘を持って迎えに来てくれたあなたの姿を,今でも忘れていませんよ.
やすのりさん,私覚えているんです.これを描いてくださった日のことを.
初めて裸のモデルを務めた私が,緊張にブルブルと震えて,とうとうしゃがみこんでしまうと,僕が一人前に絵描きになるためには,一人前のモデルがいないとダメなんだと,私の肩の絵の具だらけの手で,抱いてくれましたね.
なんだか私,涙が出て,涙が出て.
けれど,安典さんの真剣な目を見て,また気を取り直してポーズを取りました.
あの頃すでに,安典さんはどこかで自分の運命を感じているようでした.
今しか自分には時間が与えられていない.
今しかあなたを描く時間が与えられていないと,それはそれは真剣な目で絵筆を動かしていましたもの.
それが,それがこの二十歳の私を書いた安典さんの絵でした.
そして安典さんは,昭和19年夏,出陣学徒として満州に出征して行きました.
できることなら,できることなら,生きて帰って君を描きたいと言いながら.
それから50年.それはそれは本当にあっという間の歳月でした.
世の中もすっかり変わっちゃって.戦争もずいぶん昔のことになりました.
安典さん.私,こんなおばあちゃんになるまで,とうとう結婚もしなかったんですよ.
一人で,一生懸命生きてきたんですよ.
安典さん.日高安典さん.あなたが私を描いてくれたあの夏.
恋人は一生結婚をせず、一人を通したそうです。
50年後、恋人はこの絵の前に立ち思い出し、何を思ったのでしょう。
戦争は人生を壊してしまいます。
このブログを読んでまた涙が止まりませんでした。
コメント