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5月, 2024の投稿を表示しています

五島列島の旅 小さな思い出たち編

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  高知空港の手荷物検査場の手前に立っているのは黒潮町の田中鮮魚店の田中さん。 高知のカツオを持って見送ってくれました。 約1週間の五島列島の旅で見聞きしたことをブログにあげてきました。 そこに書ききれなかった小さな思い出たちを綴っていこうと思います。 若松港の水に沈む防護柵 福江港と結ぶフェリーが発着する若松港で不思議な光景を見かけました。 岸壁から転落することを防ぐ防護柵が水中にあります。 同じような柵が陸上にもあります。 水中の柵は長い間、水に浸かっているようで海藻が付着していました。 地震などで地盤が沈下した際にはこのような風景になります。 近くにいた地元の方に「なぜ、水中に防護柵があるのか?」「地震で地盤沈下したのか?」と尋ねてみました。 「そんなものがある?」「見たこともなかった。」「だから考えたこともなかった。」「地震で地盤沈下したことはない。」「馬鹿やる若いしが水に落ちないためじゃない?」 何人かに聞いてみましたが、皆同様でした。 とても不思議な気がしました。 サタンに憑りつかれたキリシタンの末裔 上五島(中通島)でレンタカーを借りた時のことです。 「立ち寄らない方がいいGSを説明します。」 「?」何かの冗談かと思いました。 「ここのGSは県外客を目の敵にしています。絡んできます。当社のお客さんの中でもトラブルになった方がたくさんいます。」 「ここのGSは県外客と見ると、吹っ掛けてきます。ボラれたとトラブルになるお客さんが多数出ています。」 キリシタンの末裔たちよ おまんら サタンに憑りつかれちゅう おばちゃんは異様に世話好き GSとは逆におばちゃんたちは異様に世話好きでした。 これは五島列島の旅 福江城編「日本最後に築城されてご一新」でもご紹介した思い出です。 五島列島の旅 福江城編「日本最後に築城されてご一新」 (taichanretiredlife.blogspot.com) 五島庭園跡や武家屋敷通りにあるふるさと館でのことです。 女性の職員さんが説明をしてくれるのですが、そのサービス精神が旺盛なこと! 私が「高知から来た」というと「私、龍馬さんが大好き!」「なぜ、私より先に死んだ!」と話を合わせてくれます。 一人の職員さんと話をしていると周りからわらわらと他の職員さんが集まってきて、ワイワイと説明をしてくれます。 こんな経験をしたのは...

五島列島の旅 番外編「五島列島と壱岐・対馬」

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  五島列島を旅してふと壱岐対馬と比べていました。 2021年秋、壱岐と対馬を旅しました。 壱岐と対馬は同じような島だと思って出かけましたが、壱岐は平地が多く、対馬は山が多いなど全く違った島でした。 その壱岐対馬をひとくくりにして五島列島と並べるのは無理があることは十分理解していますが、一度、頭に浮かんだものはなかなか消すことができません。 そんな無理な話だと理解して、お読みください。 元寇と遣唐使 文永11年(1274年)、弘安年(1281年)と2度にわたる蒙古襲来(元寇)で壱岐・対馬は酸鼻を極める惨状を呈したと言われます。 壱岐にある少弐資時像です。 壱岐守護代、弱冠19歳の少弐資時は元寇・弘安の役で雲霞のごとき元軍の重囲の中、力戦奮闘しましたが遂に矢尽き、刀折れ郎党100余騎と共に壮絶な最期を遂げました。 少弐資時像 | スポット・体験 | 【公式】壱岐観光ナビ (ikikankou.com) 対馬の元寇の古戦場(佐須浦)にある守護代宗助国の像です。 文永の役で守護代宗助国は自ら親兵80余騎を従て討って出て、壮絶な最期を迎えています。 元寇で戦った対馬の守護代 宗助国の騎馬像除幕 - 長崎新聞 2020/08/11 [00:00] 公開 (nagasaki-np.co.jp) 壱岐対馬はいたるところに元寇による悲惨な歴史を伝えるものがありました 一方、五島列島では元寇のような異国から襲来された悲惨な話は聞きませんでした。 五島列島三井楽(みいらく)にある遣唐使ふるさと館にある屏風絵です。 五島列島は遣唐使の日本最後の寄港地でした。 屏風絵の横に作者の文章がありました。 屏風絵「三井楽・船出の朝」 「日本の黎明期に遣唐使船が最終の寄港地として、ここ三井楽から島に向かって船出をしました。先進国、唐の文化を学ぶために多くの勇気ある若者たちの壮大な夢と希望を乗せて。それは生きて帰れるという約束のない船旅でありました。そんな船出の朝の情景です。激励する村の長老と正、副̪使たち。恋人たちの別れ、水夫と家族の別れ。激励に駆けつけた海賊たち。見送る村の童たちと、それぞれのドラマを描きました。 (中略) 先人の偉業を偲びつつ祈りと感謝の思いで書き上げました。」 2001年夏 日本画家 鈴木靖將 同じ長崎県の離島ですが、ちょっと位置が違うだけでこのような違いになるんですね...

五島列島の旅 福江城編「日本最後に築城されてご一新」

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  福江(石田)城址を見学し、話を聞くことができました。 福江城は築城してすぐに取り壊されました。 ご一新(明治維新)ですね。 城址や今も維持管理されている庭園なども見事なものでした 更にご一新から現代に至るまでの旧城主の話を伺うと、教科書で学んだ明治維新とはまた違うエピソードを知ることができました。 ネット上には沢山の情報が溢れています。 以下では私の短い滞在で見聞きし、印象に残ったことを紹介します。 詳細な情報を知りたい方は他のサイトもググってみてください。 福江藩と五島氏 五島列島全体が福江藩の領土でした。 領主は五島氏です。 石高は1万5千石です。 鐙瀬(あぶんぜ)ビジターセンターの床に五島列島を中心にした地図があります。 東京までは1,000km以上あります。 上海は700~800kmです。 1,0000km以上ある江戸まで参勤交代をしていました。 長崎に渡り九州を横断し瀬戸内海を通って大阪(上方)に上がり、あとは東海道で向かったそうです。 供揃えは30数名。 江戸に入る前に”臨時藩士”を現地採用をして体裁を整えたそうです。 1万5千石の福江藩ですが、功績のあった家臣に3千石の領地を分け与え富江藩として分藩した時期があります。 福江島の南に今でも富江という地域があります。 分藩し本家は1万2千石となりました。 1万石以上を大名と言います。 3千石の富江藩は大名の格ではないのに、参勤交代を命じられていたというからきつかっただろうなぁ、と思います。 名目の石高は1万5千石ですが実際の石高はもっとあったんではないか、と思います。 そのことを地元に方に聞くと「そのようです。江戸から巡視に来た役人にこの向こうは何もない、と言ってみせなかったと聞いています」と笑っていました。 福江城築城 幕末になると五島列島近海に異国船がたびたび来訪するようになりました。 やっと幕府から築城の許しが出て、1863年に完成しました。 日本で最後に築城されたお城というわけです。 総工費は2万両。現在のお金で約25億円だったそうです。 2万両のうち、9千両は幕府からの借り入れでした。 しかし、返済はしなかったそうです。 明治維新 築城からわずか9年後、明治維新でお城は取り壊されてしましました。 面白いのはここからです。 明治政府に取り上げられたお城跡を五島氏が買い戻したのだそうです...

五島列島の旅 地質編「五島列島の成り立ち 堆積岩と火山岩が織りなす風景」

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  五島列島は長崎県です。 長崎港から西方約100㎞に位置する大小152もの島からなっています。 この五島列島はどうやってできたのだろう? そんな疑問が生まれます。 今回はそんなお話です。 堆積岩と火山岩 奈留島の千畳敷きです。 水平な堆積岩の層がはっきりわかります。 これは福江島の鐙瀬(あぶんぜ)海岸です。 ごつごつとしています。 層状の構造は見られません。 火山岩です。 1万年前に鬼岳が噴火し流れだした溶岩が固まったものです。 五島列島の海岸では堆積岩と火山岩を見ることができます。 一体、この島はどうやってできたんだろう? 入り組んだ海岸線 狭い海峡を挟んで大小152もの島が浮かんでいます。 なぜ、こんなに密集して島があるんだろう? 五島列島の成り立ちをしればわかるかもしれません。 鐙瀬(あぶんぜ)ビジターセンター 福江島の鬼岳の南に位置する鐙瀬溶岩海岸に鐙瀬ビジターセンターがあります。 鐙瀬ビジターセンター | スポット・体験 | 五島の島たび【公式】- 長崎県五島市の観光・旅行情報サイト (nagasaki-tabinet.com) 2022年、日本ジオパークに認定された 「五島列島(下五島エリア)ジオパーク」の拠点施設です。 五島列島の成り立ちを詳しく絵で、ビデオで説明していました。 パネルは写真撮影が可能でした。 五島列島は次のステップを経て現在の姿になったのだそうです。 パネルの説明です。 1.ユーラシア大陸の山脈上で誕生(約2,200万年前)     大陸の縁の4000ⅿ級の山脈が五島のふるさと。      活発な火山活動により降り積もった火山灰が五島の土台となりました。 2.山脈が裂け、くぼ地に湖ができる(約1,900万年前)     大陸の縁に引っ張りの力が働きだし、山脈が裂け、湖ができます。     湖には周囲から土砂が流れ込み五島の土台の一つとなりました。 3.湖はやがて川へ     山脈は低くなっていき、湖はやがて川になりました。 4.できたての日本海にそそぐ大河(約1,700万年前)     五島の地層にはユーラシア大陸由来の砂がたくさん含まれています。 5.高まりとして残った五島   ...

五島列島の旅 教会編「迫害・拷問・殉教の歴史と今の教会の静謐な佇まい」

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  五島列島には50ものカトリック教会があるそうです。 各教会はそれぞれ異なる佇まいでした。 どの教会も静謐な雰囲気にあふれていました。 私が回った教会をご紹介します。 世界文化遺産として「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」 2018年、世界文化遺産として「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録されました。 【公式】世界文化遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 (kirishitan.jp) 五島では 頭が島の集落          :頭が島天主堂 奈留島の江上集落    :江上天主堂 久賀島の集落          :旧五輪教会、牢屋の窄 が登録されています。 教会や天主堂のみが登録されているのではなく、集落として登録されています。 教会や天主堂はその構成要素の一つです。 堂が浦教会(福江島) 海岸沿いに建つレンガ造りの教会です。 内部(撮影不可)にはキリシタン史の紹介や沢山の資料が展示されていました。 絵踏み(踏み絵)のレプリカも展示されていました。 教科書で習った歴史の証人を間近に見ることができました。 教会の正面に立っていました。 キリシタン迫害の像です。 遠藤周作の「沈黙」を原作とした映画「沈黙-サイレンス」(巨匠マーティン・スコセッシ監督)。 海の中に磔を立て、干満の波に洗われるキリシタンの姿を思い出しました。 水の浦教会(福江島) 魚津ケ崎公園の近くにあります。 清潔な白い壁が特徴的な教会でした。 五島観光歴史資料館(福江市)で観ることのできるビデオで、「この島で一番かわいい女の子」がこの教会で登場します。 牢屋の窄(さこ)記念教会(久賀島) 福江港から久賀(ひさか)港へ。 レンタカーを借りて島内を巡りました。 ここは久賀島全体が世界遺産として登録されています。 遺産としてふさわしくない奇抜な建物の建築はできないそうです。 牢屋の窄記念教会です。 教会と牢屋。 何とも相容れないものです。 朝日新聞によると 牢屋の窄事件は1868年(明治元年)、明治政府が島のキリスト教信者約200人をわずか12畳ほどの狭い牢に8ヶ月間にわたり押し込めた「牢屋の窄(さこ)」事件の90年祭=1957年8月、長崎県五島市の久賀島...