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伊勢神宮に参拝

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竜ヶ岳の帰りの伊勢神宮を訪れました。 式年遷宮のあった2013年に訪問して以来2回目の訪問でした。 内宮 まず内宮(ないぐう)を訪問しました。 五十鈴川に架かる宇治橋です。 神苑を進みます。 こうした古からの宗教に関る場所を訪れると古来の日本人の美意識に驚きます。 そしてその美意識を具現化し維持していく力にも驚きます。 なんせこちらは小さな家庭菜園の維持にさえ四苦八苦しているのですから。 五十鈴川御手洗場(いすずがわみたらしじょう)です。 参拝する前に心と身を清めましょう。 正宮(しょうぐう)です。 写真はここまでです。 ここから見る正宮も凛としていて美しく感じます。その奥の建物の清々しさや配置など日本人の美意識は大したものです。 外国人の姿も多く随分と観光客が戻ってきているように感じました。 この写真は2013年に訪問した際のものです。 式年遷宮で正宮などが新しくなっています。 さすがにこの時の人出に比べると敵いませんね。 それでも駐車場は満車の札が出ていました。 伊勢うどん 竜ヶ岳に一緒に登った友人が「伊勢うどんが好き」と言っていました。 折角ですからその伊勢うどんを食してみました。 見た目はうどんですが、歯ごたえがなく得体のしれない食べ物でした。 外宮(げくう) 鳥居をくぐります。ここから神域です。 鳥居の先の道は緩やかに曲がっています。 この後行った橿原神宮にしても神武天皇御陵にしても同じような構造です。 直線でその奥が見通せるより、こうして曲がってまず隠し、歩みを進めて初めて姿を現すことで神秘性を高めているのでしょうか 正宮です。 内宮の正宮と違い参道と同じ高さにあります。 2013年に訪れた時の正宮です。 この時は遷宮直後でしたのでまっさらでした。 上の写真は10年経って趣きが出てきています。 2023年時点の正宮の隣の敷地です。 上の写真と同じようなアングルで撮影した2013年の写真です。 新たになった正宮の隣に、それまでの正宮が建っています。 その建物が撤去され、いまでは更地になっています。 2033年の次の遷宮の際にはこの地に正宮が新たに建ちます。 やっぱり日本人の美意識はすごい! 竜が岳登山に合わせ大阪で繁昌亭、あべのハルカス美術館を訪れ、伊勢神宮にも行くことができました。 折角ですからもう一つ訪れたいところがあります。 神武天皇御陵と明日香村の

上方の定席 天満繁昌亭で笑ってきました

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  三重県の竜ヶ岳に行くのに合わせ上方定席の天満繁昌亭に行ってきました。 繁昌亭は昨年11月に引き続き2回目です。 上方落語の繁昌亭でたっぷり2時間半 上方落語・演芸を楽しみました (taichanretiredlife.blogspot.com) 上方の寄席の雰囲気にも馴染んできました。 高知空港では田中鮮魚店の店主がお見送り 久しぶりに高知空港に行きました。 手荷物検査場の手前のロビーによく見かける”フィギア”(!)が立っていました。 土佐久礼の大正市の田中鮮魚店の店主です。 旅番組でカツオのタタキと言うと必ずと言っていいほど田中さんのところに行き、藁を焼きタタキを作って「旨い!」が定番です。 その田中さんが高知空港でお見送りをしています。 コロナも一段落し、観光客が増えています。 おいしいカツオを食べで高知を離れようとしたときにこのお見送りはきっと嬉しいことでしょう。 上方での唯一の定席・天満繁昌亭。 天満天神繁昌亭|上方落語専門の定席 (hanjotei.jp) この寄席は朝席、昼席、夜席と一日に3回の興業があります。 前回は夜席でした。 今回は昼席を見ました。 チケットはインターネットで予約し、近くのコンビニで発券しました。 便利になったと思う反面、付いていけなくなったら寄席も見ることができなくなる、と不安ですね。 この日の番組表です。 月亭八織、笑福亭生寿、林家小染、浮世亭三吾・美ユル、笑福亭遊喬、笑福亭竹林 (中入り) ギター漫談の木村ライダー、露の団四郎、桂阿か枝、そしてトリは桂小分枝でした。 笑福亭竹林さんの生簀の鯛の話は今まで聞いたことがなかったですね。 13:30に始まり16:10頃に昼席は終わりました。 終演後に寄席から出てくると出演者が見送ってくれました。 このサービスは嬉しいですね。 画面左下の青のラインで囲っている方が笑福亭竹林さんです 「タイの話は面白かったですね。 初めて聞きました。 上方だけのものですか?」と聞くと、 「いや、東京でも掛ける人がいますよ」とのことでした。 私はふらっと寄る寄席が好きです。 でも、遠いとなると事前にチケットが確保できるのはこれもまた嬉しいものです。 そう言えば最近、東京の寄席に行っていません。 東京や大阪に行くことがあれば、行く機会を作ってこれからも寄席に行きたいですね。

そうだったんだ 絵金さん

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  あべのハルカス美術館で開催中の絵金展に行ってきました。 7月に行われる隣町の赤岡町の絵金祭りに何回か行ったことがあります。 あべのハルカス美術館で開催される絵金展は地元の絵金祭りほどではないだろうと思って出かけましたが、いやいや、充実した展示内容でした。 恐ろしいほど美しい 幕末土佐の天才絵師 絵金 あべのハルカス美術館で土佐の天才絵師 絵金さんの美術展が開催されています。 幕末土佐の天才絵師 絵金 | あべのハルカス美術館 (aham.jp) 謎の天才絵師とも呼ばれる土佐の絵師・金蔵は、幕末から明治初期にかけて数多くの芝居絵屏風などを残し、「絵金さん」の愛称で、地元高知で長年親しまれてきました。同時代のどの絵師とも異なる画風で描かれた屏風絵は、今も変わらず夏祭りの数日間、高知各所の神社等で飾られ、闇の中に蝋燭の灯りで浮かび上がるおどろおどろしい芝居の場面は、見るものに鮮烈な印象を残しています。 本展は、高知県外では約50年ぶりの大規模展です。幕末の土佐に生き、異彩を放つ屏風絵・絵馬提灯などを残した「絵金」の類稀なる個性と、その魅力について、代表作の数々で紹介します。 以上 あべのハルカス美術館HP 前期展示を見に行ってきました あべのハルカス美術館絵金展の会場入り口です。 展示は3つに分かれていました。 第1章は、「絵金の芝居絵屏風」を並べて展示していました。 私が「絵金」と聞いて想像する2曲1隻屏風の作品ですね。 第2章は「高知の夏祭り」と題し、県内に広く残っている数々の作品を展示していました。 この図は今年(2023年)4月に発行された絵金ガイドブックから引用しています。 c4273b53ea4257bbf75fb571bf62ae10.pdf (actland.jp) この図には高知の夏祭りが紹介されています。 その夏祭りに絵金さんの屏風絵や絵馬が沢山登場するとのことです。 私はそのことを知りませんでした。 会場ではこの第2章は写真撮影ができました。 第2章の会場です。 香美市の八王子宮の夏祭りに登場する花台です。 中央の絵の両側に手長・足長の木彫があります。中国由来の妖怪だそうです。 土佐の芝居絵と絵馬台 – DESIGN LAB (designlab-kochi.info) 朝倉神社の夏祭りに登場する花台です。 高知は祭りや演劇が盛んだったそうです。

竜ヶ岳(三重県)の羊(シロヤシオ)

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  愛子さまのお花・シロヤシオ(ゴヨウツツジ)。5月ゴールデンウィーク頃から白く可憐な花を咲かせます。遠くから見るとふわふわとした白い羊のように見えます。 三重県の竜ヶ岳は頂上付近にシロヤシオが群生しています。満開の時期になると一斉に純白に染まり、白くふわふわとした羊たちが山野を駆けているような風景が現れます。この時期には「竜ヶ岳の羊を見に行く」と多くの登山者が訪れます。 私も先日、学生時代からの友人たちと羊を見に行ってきました。 まずはBBQで旧交を温めます 地元の三重県、四国からは私と愛媛県から、遠くは千葉県から6人が集まりました。 集まったその日はBBQ。 三重県ということで松坂牛のもも肉を頂きました。 高知県にも土佐赤牛というブランド牛があって私はいつも赤牛のもも肉を頂いています。 松坂牛はモモでもジューシーでした。 お酒を飲み、積もる話が尽きることはなく、翌日は登山だというのについつい飲みすぎてしまいました。 さぁ、行こう 竜ヶ岳へ 宇賀溪の駐車場から遠くに竜ヶ岳を見ることができます。 とても遠い! 本当にあそこまで行くの? きっとその手前にあるんだ、と言い聞かせ出発です。 駐車場から林道を約20分歩くと遠足(えんそく)尾根入口に着きます。 ここの標高は326ⅿです。 竜ヶ岳の標高は1,099ⅿですので標高差773ⅿ。アップダウンを累積すると1,200ⅿ差だそうです。 気にせず上りましょう。 いきなり樹林帯の急登が続きます。 そして岩場もあります。 いやぁ、きついきつい。 岩場を登りきると展望が開けた場所に出ました。 奥に見えるのが竜ヶ岳。 今から登ります。 まだまだ距離があります。 急登を上り終え、稜線に辿り着きました。 ホッと一息です。 ここで標高730ⅿ。 尾根伝いのなだらかな道です。 この当たりはまだ樹林があります。 樹林が途切れ、竜ヶ岳が見えてきました。 高度差はかなり小さくなりました。 でも、まだ距離はありそうです。 眼下には四日市市市街や伊勢湾を見渡すことができます。 この絶景を見るとあの急登のきつかったことも忘れさせてくれます。 シロヤシオ 頂上が近づいてくるとシロヤシオが登場します。 今年は花が早かったとかで、まだ残っているか不安でしたが、可憐な花をつけて待っていてくれました。 この花が愛子さまのお印のお花・ゴヨウツツジ(シロヤシオ)です

トヨタのスポーツカーづくりを描いた「どんがら」を読みました

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  トヨタの一人のチーフエンジニアがスポーツカー「86」「スープラ」を作り上げていく物語「どんがら」を読みました。 実際の担当者から取材して、実名で小説に仕立てています。 やっぱりモノづくりはいいな、と思った本でした。 「どんがら」清武英利 講談社 会社のために働くな。 「絶対に売れない、儲からない」と言われた、時代に逆らう最後のスポーツカーを、命がけで造り上げた男がいる。 日本最大の自動車会社・トヨタでもがき、苦しみ、サラリーマンでありながらも夢を追い続けるエンジニアたちの、心ふるわすノンフィクション。 スポーツカー「86」「スープラ」の復活を手掛けた元トヨタチーフエンジニア・多田哲哉を主人公に、技術者やその家族の苦闘と人生の喜びを描いた「週刊現代」の人気連載「ゼットの人びと」を大幅に加筆修正。 これまで秘密のベールに包まれてきた、トヨタエンジニアの牙城「技術本館」内部で繰り広げられる人間模様、スポーツカー開発の詳細なプロセス、そしてトヨタを世界企業に押し上げた歴代チーフエンジニアたちの「仕事術」にも、綿密な取材で肉薄する。スポーツカーファンのみならず、人生と仕事に悩むすべての人へ贈る物語。 『どんがら トヨタエンジニアの反骨』(清武 英利)|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp) 以上 講談社BOOK倶楽部から なお、「どんがら」とは鉄板むき出しで中身も色もついていないボディのことを呼ぶ業界用語です。これにエンジンや座席を付ければ完成します。どんがらの出来が車の性能を左右します。(p221) モノづくり、クルマ、スポーツカーに興味がある方は是非、手に取って読んでみてください。 モノづくりって大変だけど、いいな、と思える本です。 ビスマルクの言葉に「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」があります。 以下は私の経験をもとにした読後の感想です。 モノづくりは創意工夫の塊だ 小学校の授業で「2次産業、つまりものづくりは毎日同じものを作る単純な仕事です。これからの時代は3次産業に向かわなければなりません。」と教わった記憶があります。 素直で単純な私はすっかりモノづくりは単純作業と思っていました。 30歳を過ぎてそのモノづくりの仕事に携わりました。 そうすると日々、創意工夫の連続でした。 単純作業の繰り返しどころではありませんでした。 神様と女を除いてこ

永瀬隼介の「属国の銃弾」を読みました

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  GWはどこも人がたくさんいます。リタイヤ生活者は何も好き好んで混雑する場所に行くことはありません。GWが明けたらのんびりと出かけましょう。 ということでGWは午前中に家庭菜園をし、午後は寝転がって本を読みました。 その本の中に永瀬隼介さんの「属国の銃弾」(文芸春秋社)があります。 戦後のGHQ支配下の日本でのターゲットCの狙撃計画が進行する物語と、戦後の田中角栄を彷彿させる金権政治家の物語が並行して進んでいきます。 一気呵成に読了。 とても考えさせられる一冊でした。 本の紹介と私の感想をお話しします。 「属国の銃弾」 『属国の銃弾』永瀬隼介 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS (bunshun.jp) 戦後の闇に消えた“皇居前の狙撃計画”とは―― 1947年夏、占領軍に骨抜きにされた焦土で 日本を引っ繰り返そうとした男たちがいた―― 高度成長期に頭角を現し“今太閤”と呼ばれる政治家・千石宗平。高等小学校卒で叩き上げの彼を秘書として支える元警視庁刑事・神野晋作。2人は歴史から葬り去られた“ある過去”を共有していた。 原爆で家族を失った元特攻隊員・来栖龍二、悲劇のレイテ島から生還した天才狙撃手・黒木斗吾とともに計画された“皇居前某重大事件”の全貌、そして彼らが狙う“ターゲットC”とは――。終戦直後と高度成長期の「2つの東京」を舞台に、男たちが挑んだ「日本復活計画」を描き出す。 日本推理作家協会賞候補作『帝の毒薬』で帝銀事件の真相に迫った著者が、ふたたび戦後史の闇を描く、〈戦後史×サスペンス〉の書き下ろし大作。 文芸春秋BOOKS 「TOKYO」編 GHQ支配下の日本で進行する皇居前ターゲットC狙撃事件 登場人物はいずれも第2次世界大戦で大きな心の傷を負った者達です。 原爆で家族を失った元特攻隊員・来栖龍二、悲劇のレイテ島から生還した天才狙撃手・黒木斗吾の二人は池袋の闇酒場の用心棒をしています。 主人公の神野晋作は満州で終戦を迎え、帰国後、警視庁の刑事を経て、来栖・黒木と合流します。 彼らに資金を援助し、ある計画を推し進める千石宗平。 彼らは皆、戦争で大きな心の傷を負っています。 その一つ一つのエピソードは真に迫り、読む者の胸を締め付けます。 安全な大本営で安易な作戦を立て、兵站が十分でない最前線に優秀な日本の若者を送り込み、戦いで、飢えで亡くします。戦後は軍事物資を

アイランド・ホッピング 南の島の旅を振り返って

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  4月中旬に7泊8日で沖縄本島・八重山諸島の8島をアイランド・ホッピングで巡ってきました。 高知に戻って来て早や2週間が経ちます。 南の島々が懐かしく思い出されます。 今回のアイランド・ホッピングを思い出しながら印象に残ったことを綴っていきます。 フォーエッジのうち、ツーエッジに足を運ぶことができました 一般国民が通常の交通手段で到達できる日本の最東西南北端をフォーエッジと勝手に名付けています。 最東端は納沙布岬 最西端は与那国島の西崎(いりざき) 最南端は波照間島 最北端は宗谷岬です。 今回の旅では最西端の与那国島の西崎、最南端の波照間島に行くことができました。 与那国島の西崎です。 雲が広がり、日本で最後の夕陽を見ることはできませんでした。 日本最南端の波照間島です。 周りは険しい断崖を伴う海岸です。 本当に何もありませんでした。 小学校の教科書でショックを受けた久多良バリ この話を小学校の教科書で習った時、ショックを受けました。 過酷な人頭(にんとう)税の負担を軽減するために生まれてくる子供の数を制限する、そのために妊婦を地面に開いた3.5ⅿの裂け目を飛ばせるという発想にショックを覚えました。 多分、その頃、私が幅跳びで3.5ⅿも飛べなかったからでしょう。 この年になっても覚えているくらいですから相当なショックだったと思います。 実際に岩の裂け目の近くに立ってみると向こう側までの距離、裂け目の底までの深さに足がすくみました。 いつの時代も政のしわ寄せは弱いものに向かいます。 小学校の時、この話を学び、自分がきっとこの地を訪れるだろう、と思ったことがやっと実現しました。 日本最西端の島、日本最南端の島は他の島とは違った印象でした 日本最西端の島・与那国島、そして、日本最南端の島・波照間島はそのほかの石垣島、小浜島、竹富島、黒島とは違った印象でした。 端っこ(エッジ)という理由に加え、石垣島から日帰りができないか、できるかの違い、つまり、観光客の多寡の違いもあるようです。 (1)とにかく与那国島、波照間島の海はきれいでした 石垣島の周辺の島の海も青く澄んできれいです。 でも、与那国島、波照間島の海に比べると見劣りします。 これはやはり絶海の孤島だから、人の生活の汚れが少ない、に尽きると思います。 (2)与那国島、波照間島への観光客は多くいませんでした 観光客もい