北大東島にも行ってきました




南大東島に続いて北大東島にも行きました。

北大東島では「空飛ぶ上陸」を見ることができました。
大東島諸島ならではの風景に触れ、そこから日本の姿も見えてきました。






お隣の島に行くのに那覇を飛行機で往復


両島の距離はたった8㎞しかありません。
1年ほど前までは日本一短い路線のエア便が就航していましたが、残念。
フェリーも週に一便程度しかありません。
結局、大東島から那覇に戻り、那覇から北大東島に渡りました。
たった8㎞しか離れていない隣の島に行くのに360㎞も離れた沖縄本島を往復しました。




北大東島

古来(いにしえ)の伝説うふあがり島 北大東村 | 北大東村

最初に南大東島にサトウキビ栽培のために入植しました。
その3年後にの1903年に北大東島に上陸しています。
両島ともサンゴ礁が隆起した島で断崖絶壁に囲まれていて上陸地点を下がるのに苦労したようです。
サトウキビの栽培と漁業が産業です。
戦前はリン鉱石の採掘もしていましたが今は廃坑になっています。


お宿はハマユウ荘


今日のお宿はハマユウ荘です。
広い芝生の敷地内に管理棟、宿泊棟、レストラン、大浴場があります。
部屋はビジネスホテルのようです。
観光だけでなく仕事の人も多く泊まっていました。
ここでレンタカーも借りました。





うふあがり人と自然のミュージアム


ハマユウ荘のすぐ隣にあります。
以前は「北大東民俗資料館」の名称だったようですが、いまは「うふあがり人と自然のミュージアム」に改称しているようです。
でも、看板は確か「民俗資料館」だったように覚えています。



両大東島の成り立ちや自然、そして歴史、産業などがパネルで詳しく紹介されています。
開館時間が一日一便のエア便にあわせて変則ですが、うまく時間を調整して是非、見てください。
大東島への理解がぐっと深まります。






北大東島の道路がよく整備されている理由


南大東島もそうでしたが北大東島もなんだか離島っぽくない気がしました。
なんでだろう?と考えると島内に道路が張り巡らされていてまたその道路がよく整備されているせいではないかと感じました。
左の航空写真は北大東島です。
お分かりのように島全体がサトウキビのプランテーション化していて圃場へのアクセス、出荷のために道路網が出来上がっています。

道路がよく整備されている理由の一つは大きな収穫マシンを圃場に移動させるためです。

この写真は南大東島で撮影したものです。
北大東島では同じような大きなマシンが農道を走っていました。
横から見ると巨大さが一層分かります。









もう一つの理由は雨水の有効利用です。
農道は舗装されています。
雨水を地下浸透させずに集水します。
飛行場の滑走路に降った雨も集めて池に貯めます。
川のない小さな島での苦労、工夫だったのです。





鮃の養殖

ミュージアムのパネルです。
「陸で育つ魚」
「海が荒れると何日も漁ができなくなる水産業の弱点を補うため、陸上でアワビやヒラメを育てる陸上養殖に取り組んでいます。海水淡水化施設と同様に島の深い地層にしみこんでくる清浄な海水を汲み上げて、魚介類を育てています。2019年にはアワビの孵化にも成功しています。近年は航空貨物で出荷をしています。」とあります。

島の人に鮃の養殖場に連れて行ってもらいました。
大東島には入り江がなく海面での養殖ができませんん。
陸上養殖ならOKです。
円形のプールです。


プールの底にはヒラメが隙間なくへばりついています。

と、人の気配を感じると海底から離れて浮き上がってきます。

そして海面に集まって来て重なるようになり、海面でしぶきを上げます。

そうです。
観光池で鯉に餌をやると鯉の上に鯉が乗るようにして盛り上がる風景がヒラメの養殖池で餌もやらないのに見ることができます。

いやぁ、ヒラメって賢いんですね。


リン鉱石廃坑跡

戦前はリン鉱石の採掘、出荷が大きな産業になっていたようです。
しかし、戦後、アメリカが管理するようになり品質が安定しなくなり顧客が離れていったそうです。





リン鉱石廃坑跡から見る夕陽です。

廃墟から見る夕陽は何ともSFっぽい感じがしました。







夕食にぽてちゅう

ハマユウ荘の夕食です。

お刺身にトンカツです。
これに大東鮨を追加してビールで乾杯。
北大東島ではジャガイモから焼酎を作っています。
その名もぽてちゅう。

サトウキビは連作障害を起こすので輪作作物としてジャガイモやカボチャも栽培しています。
そのジャガイモを使った焼酎です。
美味しくいただきました。

沖縄最東端から見る朝陽

北大東島は沖縄の最東端です。
沖縄で一番早く朝陽を見ることができます。









空飛ぶ上陸

前の日に島の人から「明日の朝、フェリーが入港する。面白い風景を見ることができるから行ってご覧よ。」と情報をもらいました。
是非、見たいと思っていました。
島にはフェリー用の岸壁が3つあります。
その日の風向きによってどの岸壁を使うか決めます。
「人が集まっている港に着くから」の情報をもとに車を走らせると、この日は江崎港でした。
フェリーが近づいてきても着岸しません。
護岸から10ⅿほど沖にアンカーで固定します。

岸壁のクレーンで船上の荷物を吊り上げます。

ひとはこのかごに乗って上陸します。




岸壁の上で上陸です。
車だってこの通りです。









本当はフェリーで来島したかった。
かごに乗って上陸したかった。
フェリーの就航日が発表になるのが2,3ケ月前です。
またフェリーは800t足らずで往復約800㎞の途中に避難港がありません。
天候が悪化するようであれば欠航します。
今回は空路を使いました。
でも、こうして空飛ぶ上陸風景を見ることができました。
それで満足することとしましょう。

フェリー入港前後のスーパーの棚

島の人から「フェリー入港前はスーパーの棚はガラガラだけど、入港して一時間もすると商品が並ぶから」と聞いていました。

この写真は入港の前の日のスーパーの棚です。






豆腐や練り物、乳製品が冷蔵棚に一杯並びました。









牛乳やヨーグルトなどの乳製品が並びました。



ガラガラの棚に何が並ぶのだろう?と思っていると・・・

パンがいっぱい!

子供たちが待ちかねたでしょうね。

火力発電と海水淡水化

石垣島周辺では近くの大きな島から送電線、送水管で電力と水を確保している離島がありました。
南大東島も北大東島も沖縄本島から360㎞も離れています。
そのため島で火力発電し、海水を淡水化しています。
島の人たちの生活は一変したことと思います。
もし火力発電と海水淡水化装置がなければ旅人も気軽に行くことはできなかったでしょう。


あっという間の北大東島でした。

事前に調べていましたが、やっぱり来て見てみると分かること、感じることがあります。
来てよかったと思います。






東島を飛び立った機上から周りを海に囲まれた小さな島を眺めているとフェリー入港前後のスーパーの棚を思い出し、そして次の瞬間ハッとしました。日本はどうなんだ?
食料自給率が4割を切り6割以上を海外から輸入している島国日本。国民の命をつなぐ食を海外に委ねています。世界的な紛争や飢饉が起こっても日本には安定的に高品質で安価な食料が入ってくるのでしょうか。日本国民の食が国際間の駆け引きのカードに使われることはないのでしょうか。
スーパーに行っても棚に食品が並んでいない。今日も空の商品棚。
離島の小さなスーパーの商品棚から危うい日本の姿に思い至り、狭い畿内でぶるっと頭を振りました。



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