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大心劇場で「追い風ヨーソロ」を観てきました

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  安田町の安田川のほとりにある大心劇場に行ってきました。 安田町を舞台にした1時間ほどの映画「追い風ヨーソロ」とその後の豆電球さんのミニコンサートを楽しんできました。 お山の中の小さな映画館・大心劇場 大心劇場 豆電球 (pikara.ne.jp) 国道55号線から北へ安田川沿いに10分ほど遡ったところにポツンと映画館があります。 常設館ではありません。 月に1週間ほど上映があります。 館主は地産地消のシンガーソングライター豆電球こと小松さんです。 上映の前後に豆電球さんの生歌を聞くことができるのも楽しみです。 私は好きでよく訪れています。 「追い風ヨーソロ」 今回は安田町を舞台にした地産地消の映画「追い風ヨーソロ」です。 大心劇場のHPに紹介のyou tubeが載っていました。 映画『追い風ヨーソロ!』(於、大心劇場)予告 - YouTube 豆電球さんの紹介によると横浜に住む5人の役者さんが自分たちで企画し、カメラマンを雇い、自分たちで監督や撮影総指揮などを兼務しながら、自分たちのお金で作った映画だそうです。 ある日、彼らから豆電球さんに電話があり、「安田町を舞台に映画を作るので、豆電球さんも出て、歌も歌って」とこの映画作りがスタートしたとのことでした。 大心劇場のHPにはこの映画を次のように紹介しています。 <作品紹介>過去の安田村と現在の安田町が大心劇場のスクリーンで交錯する【地産地消】喜劇! <あらすじ>1889年、安田村。唐浜で、通りすがったお遍路の男に看取られながら、ひとりの女が息を引きとった。そして同じ頃、安田川のほとりでは、長く安田村を離れていた兄弟が偶然の再会を果たしていた。その前に、父の仇と刀を構える女が現れる……。 時は流れて現在、安田町。かつての安田村にいた面々と同じ顔をした者たちが、大心劇場に集ってくる。他人の空似か、あるいは前世か。交錯する過去。時を超えて、彼らを包むように風が吹く。 全編で安田町、高知市でのロケを敢行、主題歌は豆電球、上映は安田町の大心劇場という【地産地消】映画が誕生! 6月23日の高知新聞でも紹介 高知県安田町を主な舞台として制作された映画「追い風ヨーソロ!」が24日から同町内京坊の大心劇場で封切りされる。全編が県内で撮影され、地元のフォークシンガー、豆電球こと小松秀吉さん(71)も芝居と歌で参加。役者らは「〝地産

ウクライナ戦争を止めることができるのはロシア国民だけ

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  先日、南国市内で「プーチン政権の闇と今後の日露関係」と題して学習院大学名誉教授の中村逸郎さんの講演がありました。 「ウクライナ戦争は厳しい状況が続いている。でも、終わりが見えてきた。」と話し始めたので「どうした根拠でそう言えるのか。どんな終わりが予想できるのか。」と興味を持って聞きましたが、最後で緊張感がプッツン切れました。 ロシア専門家の中村逸郎さん ウクライナ戦争が始まってからロシア専門家としてテレビでよく見かけるようになった中村さんです。 独特な風貌に加え、甲高い声で早口のおしゃべりも印象に残ります。 詳細な経歴はググってくただくとして、今回の講演で高知に縁があることを知りました。 中村さんは島根県のご出身です。 お姉さん夫婦が30年近く高知市に住んでいて、学生時代に遊びに来たことがあるそうです。土佐弁が懐かしく、今でも季節になるとブンタンを買い求めているそうです。 ウクライナから日本への避難者は約2,500人 ウクライナから日本へ避難している人は焼く2,500人に上るそうです。 その多くは単身の女性です。 家族はペットを連れてくることができず、ポーランドなど周辺国に避難しています。 この写真の女性たちは高校生や大学生です。 避難先に日本を選んだ理由は (1)戦争から遠い (2)アニメで日本に親しみを持ってたから だそうです。 避難民の多くは自治体が準備した住まいで避難生活を送っています。 アルバイトをして3分の一は生活費、残りはポーランドなどに避難する家族にし送っているそうです。 不自由をしている彼女たちに少しでも楽しんでもらおうとファミリーレストランに連れて行くことがあるそうです。 「好きなものを食べて」と言っても、彼女たちは安いものだけを選ぼうとするそうです。 「お金のことはいいからお肉や魚など好きなものを食べて」と無理やり栄養のつくものを選んでもらうのだそうです。 母国から遠い、家族・親戚もいない、慣れない国で肩身の狭い思いをしている彼らの心情を思うと、やるせない気持ちになります。 彼ら・彼女らに「戦争が終わったらどうするの?」と聞くと「ウクライナに帰って母国の再建の力になりたい。そして、お世話になった日本の自治体との架け橋になりたい」というそうです。 早くその日が来ることを願っています。 ウクライナの甚大な被害 キーウをはじめ都市部への攻撃によっ

「絵師金蔵 赤色浄土」を読みました

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  幕末の動乱期に土佐で活躍した絵師・金蔵、絵金。 その生涯を描いた「絵師金蔵 赤色浄土」を読みました。 狩野派の絵師だった金蔵が、狩野派とは全く違う屏風絵を描くに至った生涯が描かれていました。 興味深く、面白く読みました。 「絵師金蔵 赤色浄土」 藤原緋沙子著 祥伝社 藤原さんは高知県仁淀川町出身なんですね。 私は今までこの方の本を読んだことはありませんでしたが、著書も多数あります。 祥伝社のHPにはこの本を次のように紹介しています。 「作家生活20周年記念作品 幕末の土佐に生まれ「絵金」と呼ばれた、艶やかな色彩で見る者を 虜にした異才、激動の生涯。 「血の色は厄払いじゃ。万民の不安を払い落とすのじゃ」 幕末の動乱は土佐国も大きなうねりで呑み込んだ。 様々な思想と身分の差から生じる軋轢(あつれき)は、人々の命を 奪っていった。 金蔵はそんな時代に貧しい髪結いの家に生まれた。 類まれなる絵の才能を認められ、江戸で狩野派に学び「林洞意美高」(はやしとういよしたか) の名を授かり凱旋。国元絵師となる。 しかし時代は金蔵を翻弄する。人々に「絵金」(えきん)と親しまれながらも、 冤罪による投獄、弟子の武市半平太(たけちはんぺいた)の切腹、そして、 土佐を襲う大地震……。金蔵は絵師として人々の幸せをいかに描くかに 懊悩(おうのう)する。やがて、絵金が辿り着いた平和を願う究極の表現とはーーー。」 https://www.sun.s-book.net/slib/slib_detail?isbn=9784396636449 髪結いの子として生まれ、狩野派の絵師になる 絵金さんの生まれについては諸説あるようです。 この本では髪結いの子として生まれたとしています。 小さい頃から絵の才能があり、町内の大店の主にして文人に認められ援助を受けます。 この旦那さんとは何だかいわくがありげです。 土佐で力を付け、周りの協力を得て、江戸に行き、狩野派で修業します。 狩野派の絵師として認められ、土佐に戻り、土佐藩のお抱え絵師となります。 絵師として順風満帆に歩んでいた絵金さんですが、周りの嫉妬によって贋作作りの疑いをかけられます。 結局は、無実となります。 この一件は絵金さんが土佐藩の絵師として活躍することをよしとしない人がいることから起こったことだと考え、土佐藩のお抱え絵師を辞し、一回の町の絵師と

7月30日に盆梅亭が開催されます

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  高知の老舗料亭・得月楼から恒例の上方落語会・盆梅亭の案内が来ました。 早速、申し込みました。 得月楼の盆梅亭 第20回 得月楼上方落語会 盆梅亭 – お知らせ (tokugetsu.co.jp) 得月楼は高知の老舗料亭です。 宮尾登美子さんの陽揮楼のモデルとなったことでも知られています。 ここの2階の80畳の大広間で上方から落語家さんを招いて落語会を開催しています。 得月楼の有名な盆梅に因んで盆梅亭と銘打っています。 盆梅亭の落語はたっぷり聞くことができます 私は落語が好きで、寄席にも足を運びます。 先日も大阪の繁昌亭で笑ってきました。 上方の定席 天満繁昌亭で笑ってきました (taichanretiredlife.blogspot.com) 東京の上野の鈴本演芸場や浅草の演芸ホールは、最近、行けていないですね。 こうした定席の寄席では芸人さんが次から次に登壇します 一人の持ち時間は15分です。 一方、盆梅亭では15分の制限がありません。 登壇者は時間を気にすることなく長い話を掛けることができます。 盆梅亭では、定席の寄席では味わうことのできない落語を聞くことができます。 今回は7月30日(日)の開催で、桂米團治さんが登壇します 私は早速、申し込み、席を確保しました。 今回の米團治さんは『稽古屋』、『はてなの茶碗』の二つを掛けるそうです。 14時に開演し、いつもなら16時半頃に終演です。 聞いたばかりの余韻に浸りながら、居酒屋で一杯。 いまから落語も一杯も楽しみです。

明日香村を自転車で散策

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  竜が岳登山の前後の旅もいよいよおしまいに近づいてきました。 神武天皇御陵や橿原神宮・瑞鶴の碑に続いて明日香村の遺跡を自転車で回りました。 今回の旅も晴天に恵まれ目いっぱい楽しむことができました。 自転車で明日香村を周りました 甘樫丘から明日香村を望みます。 今でものどかな風景です。 聖徳太子や蘇我入鹿の時代を押して知るべしです。 この長閑な地に時の政権中枢があり、海外からの要人を接待する施設があったというのは何とも不思議です。 水落遺跡です。 水を使った時計の後です。 建物があり下の階で時を計り、上の階は時計台のようになっていたそうです。 蘇我入鹿の首塚です。 故人のお墓です。 看板はもちろんありません。 この地で暗殺が行われました。 歴史とはきれいごとではありません。 飛鳥寺本堂です。 飛鳥寺近くの町並みです。 古い町並みが残っていて自転車での散策にお似合いです。 亀形石造物です。 亀形石造物の口の部分に水を流し、亀の甲羅の部分を通って、尻尾の部分から流れ出ます。 私は明日香村を自転車で回るのは3回目です。 1回目はこの亀形石造物が発掘され公開された時に訪れました。 あの時は発掘直後の雰囲気が残る場所に沢山の人が来ていました。 今回はちらほらの人でした。 有名な酒船石です。 近くに水を引く遺跡があるとかで、酒船石の上の凹部に水を流して楽しんだのだろう、とのことでした。 水落遺跡と言い、亀形石造物と言い、この酒船石と言い水の流れを楽しんでいたんですね。 石舞台です。 古墳時代後期の古墳で蘇我馬子が埋葬されていると言われています。 そうそう竹内結子が主演した朝の連続テレビ小説「あすか」で子供時代に家出をしてこの石舞台で一晩を明かすという場面がありました。 小学生だった子供たちと実際に見に行こうと来たのが明日香村を訪れるきっかけでした。 このような大きな石を積んで大きな空間を作り出す知恵、人役を想像するに古墳時代の権力侮りがたし、と思います。 この日は遠足でたくさんの小学6年生が訪れていました。 小高い丘からの石舞台が好きです。 前回はちょうど桜の季節でした。 前回(2019年4月12日)に訪問した際の写真です。 桜を背景にした石舞台古墳。 明るくていいですね。 亀石です。 確かに亀に見えます。 なぜ亀を掘ったのか? 亀形石造物と言い亀が好きだったのでしょうか。 畑

神武天皇御陵、樫原神宮、瑞鶴の碑

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  竜が岳の帰りに橿原市に寄り道しました。 橿原神宮前でレンタサイクルを借りました。 今日は橿原神宮前をスタートし、明日香村の遺跡を周ります。 電動サイクルを勧めてくれましたが、竜ヶ岳の筋肉痛を癒す意味で負荷をかけるため人力自転車を選択しました。 初代天皇・神武天皇御陵 私は皇族の歴史に詳しくはありません。 ウィキペディアなどによると日向から東征し大和地方を平定し、橿原の地で初代天皇に即位したとのことです。 神武天皇 - Wikipedia 即位した日は紀元前660年2月11日。 この後、訪れる明日香村では聖徳太子や蘇我入鹿などの話が出てきます。 聖徳太子が生まれたのが574年。 随分と時代が違います。 神武天皇御陵は大きな看板は出ていません。 交通量の多い県道脇にこのような表示があるのみです。 今回は2回目の訪問です。 最初の訪問ではなかなか気づかなかったことを思い出します。 ここに自転車を置き、歩いてお参りします。 うっそうとした森の中に参道が続いています。 5分ほど参道を進むと御陵が現れました。 鳥居が重なっていて、奥行きを感じさせます。 最初の鳥居から見ると奥に鳥居とその先の森が見えます。 横から見るとその奥行きがよくわかります。 参道を含めこれだけの広さに砂を敷き、草一本生やさない管理はさぞ大変だと思います。 前回、訪問した時には地方から来た奉仕団の方がお仕事をされていました。 そうした方を含め多くの方が携わっていることと思います。 樫原神宮 神武天皇御陵のすぐ横に橿原神宮があります。 参道はやはりうっそうとした林の間をゆっくり曲がっています。 神門です。 本殿です。 本殿の横の絵馬。 今年の卯が大きく描かれています。 神前で誓いを立てているカップルがいました。 夢と希望を持ったお二人に幸あらんことを願っています。 瑞鶴の碑 橿原神宮に瑞鶴の碑があります。 若桜友苑 – 橿原神宮 (kashiharajingu.or.jp) 私は橿原神宮をお参りするのは今回が2回目です。 最初にお参りした帰り道に瑞鶴の碑を見つけた時には驚きました。 今回の訪問の目的の一つです。 第2次世界大戦での日本海軍の空母・瑞鶴。 朝の10時ごろに訪問しました。 足下の砂はきれいに掃き清められ落ち葉の一つ、雑草の一本もありません。 大海原を表しているのでしょうか砂で水平線、波頭を描い