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11月, 2021の投稿を表示しています

リタイヤ生活者として次の世代に残したいものにお金を使いたい

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東京では、かなや刷毛にも寄ることができました。 かなや刷毛(https://www.kanaya-brush.com/)はブラシ、刷毛の専門店です。 ブラシなら「かなや刷毛」 シャツの襟もとや袖口の汚れをとるいいブラシが欲しいと思っていました。 ホームセンターに行けばそれ用のブラシがあるのでしょうが、東京に立ち寄るので合羽橋のかなや刷毛まで足を運びました。 「洗濯の際に襟元、袖口の汚れをとりたい」と言うと、染み抜きブラシを出してくれました。 馬毛で柔らかく、生地を傷めないそうです。 かなや刷毛は品揃えが多く、一目見ただけで品質の高さが分かります。 染み抜きブラシと、亀の子だわし(中・小)を買いました。 帰高後、早速、このブラシで部分洗いをしました。 何だかよくとれたような気がします。 家庭菜園で作業をするときに着るためにおろしたシャツです。 襟元や袖口にはほころびが目立ちます。 それでも、襟元や袖口に汚れが残っているシャツよりも、きれいに洗濯したシャツの方が気持ち良いですからね。 次の世代に残したいものに少しこだわって生きて行きたい 私は、「これを買うならこのお店」と信頼を置いている店があります。 魚なら安芸の寺尾鮮魚店・大橋通りの楠長・仙頭鮮魚店(ホームセンター内の産直市に出店)、土佐赤牛なら土佐山田の三谷ミート、ウナギなら大橋通のセイロ、日本酒なら仙頭酒造(ぼっちり)・有光酒造(安芸虎)・西岡酒造(久礼)・南(南)。 これらのお店は、日々の生活でのこだわりです。 浅草仲見世の助六の江戸玩具 滅多に買うことはないが、でも、買うならこのお店で、とリストにしているのは江戸玩具なら仲見世の助六、ブラシならかなや刷毛、おろし金なら京都の錦市場の有次、扇子なら宮脇賣扇庵などです。 靴の手入れのブラシはかなや刷毛製。 有次のおろし金はもう20年近く前に買ったもので、目立てをして今も使っています。 いずれも職人さんが昔ながらのものづくりを行っています。 リタイヤ生活者としての消費活動は社会との接点 リタイヤ生活は、どうしても人と会うことが少なくなり、この点では社会との接点、コミュニケーションが少なくなると言わざるを得ません。 私は、お金を使うことは社会との接点、コミュニケーションだと思っています。 次の世代に残したいもの、ことにお金を使う。 魚屋さんにしても、お肉屋さんにしても

檻も冊もない生息環境を再現したのいち動物公園

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昨年の対馬壱岐の旅の帰路に立ち寄ってから1年ぶりの東京です。 緊急事態宣言も解除されたからなのでしょうコロナを感じさせない大勢の人出でした。 初めての上野動物園 東京では上野動物園に行きました。 私がボランティアをしているのいち動物公園はトリップアドバイザーで動物園水族館の部門で日本一の評価を頂いています。 正直、動物の数も少ないし、なぜ、日本一なのだろう?と思うことがあります。 実は私、まだ上野動物園は行ったことがありません。 パンダもいてよくニュースにも取り上げられる上野動物園を見れば、何かヒントがあるのかもしれません。 上野動物園とのいち動物公園の違いを感じました 沢山の家族連れに混じって上野動物園の門をくぐりました。 パンダ舎にはカメラを持った沢山の人が並んでいます。 ほぉ、やっぱり人気があるんだなぁ、と進むと、えっと思う光景が目に入ってきました。 動物を入れた檻が重い雰囲気をまとって並んでいます。 昔ながらの動物園の佇まいです。 一方、のいち動物公園は生息環境に近い環境で、それも柵を用いず展示(生態展示)しています。 重苦しい雰囲気の檻が並ぶ姿を見ることはありません。 両園の違いをまざまざと目の当たりにしたのは、両園で展示しているシロテテナガザルです。 上野動物園のシロテテナガザルは、大きな檻の中に入れられ、箱の中にうずくまっていました。 見ているこちらがつらくなります。 のいち動物公園のシロテテナガザルは、檻がなく開放的な環境の中で楽しそうにブラキエーション(樹上性の霊長類が、両腕で交互に枝を掴んで身体を振って移動すること。腕渡り。)を披露してくれます。 両園の違いは動物たちの前での子供たちの滞在時間に見ることができます。 上野動物園では、箱の中にうずくまっているシロテテナガザルをみて「あ、お猿さんだ。」と言うとすぐに次の展示場に向かっていました。 一方、のいち動物公園のシロテテナガザルの前では飽きずに観察している子供たちの姿を見ることができます。 生態展示ののいち動物公園 のいち動物公園は田舎にあり、展示する動物の数は少ない動物公園です。 のいち動物公園のワオキツネザル でも、動物たちの生き生きとした姿を見ることができます。 芝生広場もあり、ピクニック気分を楽しむこともできます。 なるほど。 トリップアドバイザーで高い評価を頂くには理由があるんだなぁ。

青葉城址の狛犬にはおちんちんがありました

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  杜の都・仙台。 駅前の大きな通りでは銀杏が色づき、冬の到来を感じさせていました。 青葉城址の伊達政宗公の銅像 仙台の観光地と言えばさとう宗之も歌った青葉城があります。 市内の観光地を巡る「るーぷる仙台」で青葉城址に行きました。 青葉城址は仙台市内を見下ろす高台の広場です。 城址ですので、天守閣など建物は残っていません。 石垣がお城のあったことをうかがわせます。 コロナが落ち着いてきたからなので修学旅行生の団体も目につきます。 仙台市内を見下ろしながら広場を周ると伊達政宗公の銅像が立っていました。 なんだか違和感 その正体とは 天守閣など目立つものがないので、ほとんどの観光客がこの銅像の周りに集まっていました。 私たちもその像の前に行きました。 堂々とした伊達政宗公です。でも、なんだか違和感を感じます。 違和感の理由は何だろうともう一度銅像、その周りを見てみると、「あ、狛犬がいる」。 狛犬は寺社仏閣の門や参道の両側に立っています。 銅像の前に狛犬がいるのは何とも不思議です。 実際、帰りに東京に寄った際、上野の西郷さんの銅像を見に行くと、犬は引いているものの狛犬はいませんでした。 「なんで狛犬がいるんだろう?」と近寄って見ると「あれ!おちんちんが付いてる!」 目が点になりました。 伊達公からみて右側の狛犬の股間におちんちんがはっきり造形されています。 急いで反対側の狛犬に近寄り見てみるとこちらには乳房が付いています。 左右で阿形吽形なら当たり前です。 左右でオスメスの狛犬は初めてみました。 「なぜ、青葉城址の伊達公の前に狛犬がいるのか?狛犬はなぜオスメスなのか?」 今回の仙台の旅で一番の疑問です。 仙台は観光客にもおいしく、気持ちよく飲める町でした 仙台には2泊しました。 東北一の繁華街である国分町周辺で食事をしました。 一晩目は飛び込みで入った濁り酒専門店。2晩目は予約していた正統派の居酒屋。 仙台はおいしく、気持ちよく飲める町でした。 青葉城址のことを思い出して 青葉城址のことを後で思い出すと、左右の狛犬の間を行ったり来たりしながら狛犬の股間を指さし、写真を撮り、「ちゅう」、「ちゅう」と聞きなれぬ方言で大きな声でしゃべる老観光客を高校生たちはきっと遠巻きに見ていたのでしょう。 高校生たちに教えてやればよかった。

コロナも落ち着いてきたので秋田に行ってきました

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コロナも落ち着いてきましたので、秋田に行ってきました。 どこに行ってもおいしいものがあり、やはり旅はいいものだと再確認しました。 旅の理由は人それぞれです 私から遅れること1年、元同僚がリタイヤしました。 リタイヤを記念して旅行に行こう、どこに行きたい、と聞くと「秋田」の返事。 なぜ、秋田?と重ねて聞くと「桜田淳子のファンだったから」とのこと。 私には理解できない理由ですが、こうした旅もあっていいでしょう。 秋田と聞けばキリタンポと秋田美人 キリタンポだけでなく日本海の海の幸、深い山もあって山の幸にきっと恵まれているのでしょう。 そして、秋田市の繁華街「川反(かわばた)」にはさぞたくさんの華が咲いていることでしょう。 初冬の日の落ちるのは早く、夕食の時刻が近づいてきました。 我ながら情けない話ですがこの年齢になると、沢山咲いているはずの華よりも団子、いや、お酒に走ります。 ホテルのフロントで秋田のおいしいものを訪ねました。 「キリタンポですかねぇ。」「あとは?」「稲庭うどんがあります。」「炭水化物ばかり。海産物でおいしいものは?」「うぅん、ありませんねぇ。」と何とも申し訳なさそうに答えてくれました。 これは期待できないぞと、駅前の炉端焼きの店に行くとメニューには郷土料理がたくさんあります。 一つ一つのインパクトは大きくないものの、地元の食材を使ったおいしい料理でした。 なんだ、おいしいものがあるじゃない、と思った次第です。 秋田県民は話を盛ることをしない控えめな人が多いのでしょうか 短い滞在で、沢山の秋田県民と話したわけではありませんが、秋田県民はどうも控えめ、今どきの言い方だと「話を盛る」ことをしないように、もっと言えば自虐的のように感じました。 秋田駅のみどりの窓口のお兄さんもそうでした。 「秋田駅は立派ですね」と話しかけると、「飲食店や土産屋がたくさん入って新しいです。でも、ホームやレールは昔のままで張りぼてです。」と何とも自虐的でした。 これが高知なら、「おいしいものはカツオだけじゃないぜ。こじゃんとある。あれも旨いこれもおいしい」となるでしょうし、「高知駅 かっこえいろう。わしらぁも初めてみた時にはこじゃんと驚いたきねぇ。」となるように思います。 おいしいものはない。張りぼて。いずれも秋田県民なりの地元愛なのかもしれません。 高知県民の感覚で秋田県民のお国

リタイヤして着ることの少なくなったカッターシャツの黄ばみに過炭酸ソーダが有効でした

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  今年も早いものであと1ケ月半を残すばかりとなりました。 この時期になると、年越しに向けて気が急く一方、1年を振り返るようになります。 この一年で自分自身が買って一番印象に残っているものは過炭酸ソーダ「オキシクリーン」です。 何だか難しそうな名前ですが、酸素系漂白剤です。 リタイヤして着ることの少なくなったカッターシャツに見るも無残な黄ばみ リタイヤして1年半が経とうとしています。 スーツやジャケットなどは着る機会が少なくなり、ほとんどを処分しました。 カッターシャツはすぐに捨てなくても、その内、着るだろうと仕舞っていました。 ある日、そのカッターシャツを取り出してみると襟元が黄ばんでいます。 見るも無残でそのままではとても着ることができません。 私は、自分でできることは自分でやろうと心がけていて、ぎこちないながら家事にも取り組んでいます。 でも、シャツの黄ばみの対処方法は未習得です。 そこで、30年以上家事をしている家内に知恵を借りることにしました。 「シャツの黄ばみをとるにはどうしたらよいか?」 (ちょっと考えてから)「お陽さんに当てたら、消える。」と言って他所に行ってしまいました。 「ん?お陽さんを当てたら消える? そんな話、最近、どこかで聞いたことがあるような、さて? あ、『鬼滅の刃』の鬼ではないか! ったく! 煉獄さんの悔しさも分からないくせに。 煉獄さんのお母さんのあの言葉も知らないくせに! 鬼じゃあるまいに、お陽さんに当てただけで、消えるものか!」とカッターシャツの襟に向かって当たっていました。 衣服の黄ばみに過炭酸ソーダがよさそうです ネットで検索してみると、いろいろな情報が出てきます。 複数の洗剤、漂白剤を混ぜて使う例が多いようです。 我が家はテレビCMをしているような洗剤は使いません。 液体せっけんのみです。 ネットに出ている商品をあれこれ買っても、使いきれずにゴミになりそうです。 もっと、簡単な方法はないかと探していると、「過炭酸ソーダ」に行きつきました。 「過炭酸?炭酸基が余計についてそれで漂白?」と思って調べてみると「炭酸ソーダと過酸化水素の化合物を過炭酸ソーダと呼ぶ」ことが分かりました。水に溶かすと酸素を発生し、その酸素で漂白ができるのだそうです。 過酸化水素水そのものではなく、水に溶かした時に酸素を発生させるところが使いやすそうです。

今はまだ人生を語らず

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今日は水菜とサヤエンドウの苗を植え、ほうれん草の種を蒔きました。 畑仕事をしながら見上げると真っ青な秋の空。 ぼーっと見上げていると、頭の中に空に立ち上る煙の画像が思い浮かびました。 その時、ふと口をついたのは「タバコの味と人生は煙になってわかるもの。」でした。 組織では公正公平に人を評価し、人から評価されることが永遠の課題 先日、会社勤めの時、一緒に仕事をしたコンサルタントの方が高知に来て、食事をする機会がありました。 40才代の彼は大きなプロジェクトを任されているとのことで、バリバリの経営コンサルタントです。 話題が自然にプロジェクトメンバーの評価・考課のことになりました。 「プロジェクトでは多くの若手コンサルタントと一緒に仕事をしている。 一人一人のコンサルタントの人事評価・考課は、 プロジェクトごとにリーダーがメンバーの評価・考課を行い、 全体で調整するんだけど、なかなか難しい」とのこと。 プロジェクトリーダーの彼にしても、上司から評価・考課されています 組織としてメンバーを公正公平に処遇するには、公正公平な評価・考課が基本です。 でも、人を公正公平に評価・考課することは難しいものです。 組織には永遠に付きまとう課題です。 そして、人を評価する、人から評価されることは当人にとって大きなストレスだと思います。 今は何をするにしても一人です 日々の生活に戻り、家庭菜園をしているときに、彼との話を思い出しました。 今の生活は”人の評価・考課”とは全く無縁な生活であることに気付きました。 今は何をするにしても一人です。 誰を評価する必要はありません 家内とネコたちとの生活です。 家内は別として誰かと一緒に何かをするということはまずありません。 そうなるとほかの人を評価する必要がありません。 誰からも評価されることもありません 家内とは独立した生活をしていますので掃除も洗濯も炊事も自分の思うようにできます。 家庭菜園も強制されたものではなく、自分の思うようにできます。 少々洗濯物にしわが入っていようが誰にも何も言われません。 家庭菜園は日々、「ああすればよかった」、「そうか、そうしたらいいんだ」と気づくことがありますが、いつ出かけようが誰にも何も言われません。 誰からも評価されることはありません。 今の生活がストレスなく快適なのは人を評価・考課することもなく、人から評