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いつまでも高知のアユを食べるために汗をかきながら自転車を漕いでいます

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いやぁ、今年の夏は暑かった。 一昔前ならあり得なかった40℃超えと聞いても「またか」と驚かなくなりました。 庭の木にクマゼミが5匹も6匹もとまっていました。 私が小さい頃はアブラゼミばかりでした。 最近はクマゼミが多くなり、アブラゼミが少なくなっています。 そうだ、今年は蚊が少なかったように思います。 亜熱帯気候帯が年2000ⅿのスピードで北上 今年の夏季大学で気象予報士の森朗さんが「今まで温帯気候だったところは亜熱帯気候に移行していきます。 気候帯の北上速度は年間2,000ⅿです。 私たちにできることは引っ越すか、成り行きに任せるか、ブレーキをかけるかの3択です。」とさりげなく「さ、どうする?」と問いかけてきました。(2025年7月19日) 自転車に乗って温暖化防止 地球が温暖化していてその原因は大気中の2酸化炭素が増えているからだと言われます。 2酸化炭素は私たちの日常生活からも発生します。 例えば自動車の排ガス。 すぐ近くのスーパーやコンビニにも当たり前のように自動車で行くことがあります。 この自動車が2酸化炭素を出しています。 私は町内の移動には極力自転車を使うようにしています。 私一人が発生を抑制する2酸化炭素の量はたかが知れています。 だからと言ってできることをしないのは性に合いません。 来年もアユを食べたい 高知県にはアユ自慢の河川がたくさんあります。 夏になるとこの恵みを当たり前のように楽しんでいます。 遠くの友人が「地元の川で獲った」と見事にきれいなアユを持ってきてくれました。 ビール片手に熱々の塩焼きにかぶりつきながら「亜熱帯気候になっても高知の川にアユはいるんだろうか?」と思い、はらわたのほろ苦さが残る口にキリっと冷えた純米酒を含み香りを鼻腔に送りながら「旨い。いつまでもこの高知のアユを食べたい」と願いました。 来年も、再来年も高知のアユを食べるために今日も汗をかきながら自転車を漕いでいます。  

68才になりました

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  8月下旬に68歳の誕生日を迎えました。 折角の誕生日。 普段の晩酌よりちびっとりぐってみましょう。 魚を買いに安芸の寺尾に行きました 普段の食材は近くの量販店で調達します。 今日は顔なじみの魚屋さんである安芸の寺尾鮮魚店に行きました。 我が家から30㎞ほど東に行った所に在ります。 この鮮魚店は高知の弘化台の魚はもちろん地元の安芸漁協の魚や室戸の魚が入ってきます。 店に入っていくと顔なじみの売り子のおばちゃんが目ざとく見つけて 「あら、久しぶり。元気やった。」 「元気、元気。8月は魚の少ない月やけんど、下旬になってちくと魚も増えたがやない?」 「おらん、おらん。この暑さで魚がおらん。」 「そうかえ。私も昼間は寝て過ごしゆうきね。」 「そうやろ。魚も一緒よ。」 イサキとアユを買い、隣の総菜売り場に行きました。 「あれ、今日はサバがおらん。(サバ寿司がない)」 「さっきまでおったけんど、売れたねぇ」 「あら、珍しい。サンマの姿(寿司)がある。」 「大きい新物が入って来たきねぇ。」 「サンマ寿司ち珍しい。それを頂戴。」 寺尾ではイサキの刺身とアユとサンマの姿ずしを調達しました。 芸西村の仙頭酒造 寺尾鮮魚店のある安芸市と私の住んでいる香南市の間に芸西村があります。 そこに仙頭酒造があります。 私はここの「ぼっちり」が好きでよく買いに行きます。 帳場は昔ながらの造り酒屋の風情があります。 仙頭酒造の銘柄が並んでいます。 今日ももちろんぼっちりです。 「7月から値上げしました。すみません。」 「いや、なんでも上がりゆうき仕方ないわね。酒米も上がったがやない?」 「上がりました。それより農家の皆さんが酒米から主食米に転作したら、私たちは仕込むものがなくなって困ります。」 「それは私も困る。」 玄関の杉玉と暖簾です。 暖簾もいい具合に日焼けしてきました。 さぁ、誕生日の食材が揃いました。 誕生日の晩餐です 半日かけて食材を調達してきました。 さ、68歳の誕生日を祝いましょう。 サンマの姿鮨。 サバやカマスやアユなど高知は何でも姿鮨にします。 でも、サンマの姿鮨は初めてです。 今年のサンマは脂がのっていて大きい。 お皿からはみ出しそうです。 寺尾鮮魚店の寿司は酢飯が多い。 このサンマ寿司も例外ではありません。 ご飯がみっちり。 口に放り込むと旨い! サンマの脂がよく酢の効...

晩酌をする猫

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  晴耕雨読なんて無理無理。 殺人的な暑さです。 陽ざしは肌をびりびりと焦がし痛いほどです。 お日様が上がってくると早々に屋内に退散です。 風通しがあって過ごしやすいところに籐リクライニングチェアを置き、横になって本を読んで過ごします。 涼しいところはネコたちも知っています。 近くに集まってきて思い思いのところで横になり、へそ天のしどけない姿で気持ちよさそうに寝ています。 私と言えば本を読んでいるとうとうととしてしまいます。 気持ちのいい時間です。 外の物音で覚醒し、周りを見ると猫たちの中に混じって同じような格好で夏の昼寝を楽しんでいた自分に気付きます。 枕元に本がなければ見分けがつきません。 「起きたけど寝るまで特に用もなし」(吉村明宏さんのシルバー川柳) 簡単な昼食を済ませると特に用もなく、また横になって本を読みます。 ネコたちも一緒です。そして、うとうととします。 「寝る子」が猫の語源であるという説が最も有力だとされるほどネコは昼も夜もよく寝ます。 私も昼も夜もよく寝ます。 昼寝をしても夜に眠れないことはありません。 なんだネコと一緒じゃん。 ネコとの違いは何だろう? 夕方になるといつまでも寝ているわけにはいきません。 本格的に寝る準備に入ります。 適当なつまみを作って晩酌をします。 ネコたちも起きて来てキャットフードをカリカリと食べて水を飲みます。 刺身なんかあげようものならむしゃぶりついています。 でも、ビールは飲みません。 あ、そうか。違いは晩酌か。 吾輩は晩酌をする猫である。

ヤモリと夏の夜の夢

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夏になると曇りガラスの向こうに体をSの字にしたヤモリが透けて見えるようになります。 私は爬虫類が苦手です。 でも、ヤモリは何とも愛嬌があり嫌いではありません。 ある日のこと。 ヤモリが台所の粘着剤に手足を取られ身動きが取れなくなっていました。 そうっとつまむとヤモリの体はとても柔らかく、強くつかむと潰れそうです。 傷つけないように両脇をつまみ、粘着剤から引き離そうとしました。 すると「キュッ キュッ」と鳴きました。 へぇ、ヤモリって鳴くんだ。 そう言えば、東南アジアを舞台にした映画「戦場のクリスマス」の冒頭でトッケイヤモリが鳴くシーンがあったことを思い出しました。 強く引っ張ると手足を傷めそうです。 そうっと、そうっと引きはがし、手足の先に付いた粘着剤を綿棒やピンセットでできるだけ取り除きました。 小さい爪がありました。 完全には取り切れませんでしたが、身を固くしているヤモリをこれ以上つまみ続けるのはよくなさそうです。 ヤモリをいつも見かける窓の付近にそっと降ろしました。 感謝の気持ちか指先を噛んできました。 噛まれても痛くはありません。 指先の指紋にヤモリの歯の感触が感じられたくらいです。 降ろしてもすぐに動きません。 胸郭が大きく動き、掴まれていた恐怖から心を落ち着かせているように見えました。 次に見るともう姿が見えなくなっていました。 夏の夜によく見かける我が家の同居人のヤモリ。 愛嬌のある姿に今までも一方的に親近感を持っていました。 鳴き声を聞いて、一層、身近に感じます。 近くを通った時に「キュッ キュッ」と鳴いてくれたら「たまぁるか!あの時のヤモリ君か!」となるのですが、今夜もヤモリは素知らぬ顔。 残念、夏の夜の夢でした。  

知覧特攻平和会館に行ってきました

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随分前に百田尚樹さんの「永遠の0」を読んで涙しました。 その頃、知覧特攻平和会館を知りました。 「いつか行かねば」と思いながら、今月末で68才になります。 父が満てた(亡くなった)齢まで10年。 78才で満てる気はありませんが、時間が永遠でないことも確かです。 「ねば」、「ねば」言う間があったらさっさと行け、と自分で自分のケツを蹴りあげて出かけました。 『永遠の0』(百田 尚樹)|講談社 娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。 そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。 終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。 天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくるーー。 記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。 以上、講談社のHPから。 「永遠の0」は2006年に太田出版から出ています。 百田尚樹さんは様々な出版社に持ち込んでも断られ、やっと太田出版が本にしてくれました。 その後、講談社から文庫本も出て累計546万部のベストセラーになりました。 この本が百田さんのデビュー作とは驚きです。 こちらが講談社の文庫本です。 2009年に発行されています。 文庫本の表紙の方が馴染みがあります。 永遠の0 || TOHOシネマズ 2013年には岡田准一主演で映画化もされています。 百田さんは天才的な飛行士宮部久蔵を通して命の大切さ、戦争のむなしさを描いています。 今回、知覧特攻平和会館を訪れるに際し、「永遠のゼロ」を再読し、また涙しました。 以下は「永遠のゼロ」を読んで私が感じたことです。 命の大切さ 戦場では臆病なくらい気をつかう 搭乗する飛行機のエンジン調整に神経質なくらい整備兵に確認する 飛行中は偏執的に周囲をきょろきょろ見張ってばかりいる 万が一に備えての落下傘を定期的に広げて点検する 筋トレや耐Gのトレーニングを欠かさない 「なぜ死にたくないのだ」 私の質問に宮部は静かに答えました。 「私には妻がいます。 妻のためにも死にたくないのです。 自分にとって命は何よりも大事です。」 「私は帝国海軍の恥さらしですね。」 自分の命だけではありません。 部下にも無駄に命を落とすことを戒めます。 終戦間際、教官となっても学徒出陣の若い訓練生に「上手くなった者から戦地へやられます」と甘い評点で合格を出すことをしません...

邪馬台国は土佐にあった! 「はじまりの国、土左」

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  「はじまりの国、土左(とさ)」を読みました。 九州説と畿内説で論争が続く邪馬台国が実は土佐にあった、という論証本です。 興味深く読みました。 この論証が多くの論証ところなるところは次の点でしょうか (1)神武東征で土佐に来た (2)卑弥呼は初代の神武天皇に続く4代目の天皇である (3)魏志倭人伝の「倭に至る行程」をそのまま読むと土佐に行きつく はじまりの国、土左 日本建国と邪馬台国-真実が目醒める時 | リーブル出版 高知県の在野の歴史研究家・橋詰和人さんが文献を読み込み、仮説を立てコツコツと現地調査を行って「邪馬台国は土佐にあった」説を組み立てました。 残念ながら橋詰さんは2022年10月に亡くなりました。 橋詰さんが主宰していた「土佐上古代史研究所」の会員有志たちが「はじまりの国、土左」製作委員会を立ち上げ、そして地元のリーブル出版から出版の運びとなりました。 リーブル出版のHPには次の紹介があります。 邪馬壹国(邪馬台国)は土佐だった! 歴史の穴を「土左」が埋める!魏志倭人伝との整合性に着目。 魏志に記された倭国の方位と距離を「素直に読み解く」と高知に辿り着く。 いまだ古代史最大の謎とされる卑弥呼の国は、日本列島のいったいどこにあったのか。 古代史の研究者・橋詰和人の提唱する『邪馬壹国土左説』には、この大きな謎への答えがある。 その入門編として本書が重点を置いたのは、神武天皇による日本の建国が、土左(土佐)、つまり現在の四国・高知県を舞台に行われたこと、土左の地で何が起こったのかだ。 卑弥呼の邪馬壹国も土左にあったことを証明する試みである。 読後、振り返って思い出す要点を抜き出してみましょう。 神武東征で土佐に来て、日本を建国した 神武東征(じんむとうせい)とは日本の神話です。 ググるとたくさんの紹介ページが出てきます。 ウィキペディアでは次のように説明しています。 神武東征(じんむとうせい)とは、磐余彦尊が日向を発ち、奈良盆地とその周辺を統治していた長髄彦を滅ぼした後に、初代天皇(神武天皇)の位についたという一連の説話をさす用語。 神武東征 - Wikipedia つまり、後の神武天皇が九州を発ち、畿内に辿り着き、そこで日本を建国し初代天皇に着いたという話です。 それを「はじまりの国、土左」では「そうじゃない。神武東征で土佐に来ている。そして土左...

agodaさん やっぱりおかしいよ

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  最近、旅行予約サイトagodaでのトラブルがニュースで報じられています。 「あ、やっぱり」と思って見ています。 私もagodaで予約で嫌な思いをしたことがあります。 私の特別なケースだと思っていましたが、最近のニュースを見ると多くの方がトラブルにあっているようです。 参考になるかと思い、私の事例を紹介します。 旅行予約サイトagoda  アゴダ®公式サイト | キャンセル無料プラン・お得な割引 | 国内海外200万軒以上のホテル agodaはシンガポールに拠点があり世界的に展開している旅行予約サイトです。 ホテルだけでなく航空券も同時に安価に予約できると人気です。 私も「え?こんな価格で泊まることができるの!さすがagodaさん!」と思ったこともあります。 でも、次のような嫌な経験をしました。 小倉のホテルをagodaで予約しました (1)2025年4月23日 小倉にあるJR九州ステーションホテル小倉 を予約しました ご予約確定のお知らせ ○○○○ 様 お客様のご予約IDは「*********」です。 お客様の宿泊予約が確定しました。詳細は、添付の予約確認書をご確認ください。 ご予約に関する重要なご案内はメールにてご連絡いたします。 予約照会 JR Kyushu Station Hotel Kokura 4.0 stars rating out of five JR九州 ステーションホテル小倉 property image Kokurakita-ku Asano 1-1-1, 北九州, 日本, 802-0001 チェックイン日: チェックアウト日: メールには予約確認書(pdf)も添付されていました。 朝食付きでリーズナブルな料金で予約できたと喜んでいました。 (2)5月8日に agodaから次のメールが届きました この度はアゴダをご利用頂きありがとうございます。 ご予約詳細【ID:********】: 宿泊施設名:JR Kyushu Station Hotel Kokura 所在都市/国または地域:Kitakyushu/Japan チェックイン日:June 4, 2025 チェックアウト日:June 5, 2025 大変申し訳ありませんが、技術的エラーが発生し、誤った宿泊施設でのご予約が確定してしまいました。 ご予約が、JR Kyushu Stat...

「乱歩と千畝」 おすすめの一冊です

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  「乱歩と千畝」(新潮社)を読みました。 感想は一言「おもしろかった」です。 『乱歩と千畝─RAMPOとSEMPO─』 青柳碧人 | 新潮社 乱歩とはもちろん探偵小説家の江戸川乱歩。 千畝とはもちろん外交官の杉原千畝。 千畝の小さい頃、友人から「せんぽ」と呼ばれていたそうです。 ですから「乱歩と千畝」は「らんぽとせんぽ」です。 以下、新潮社のHPから引用します。 探偵作家と外交官。若き二人が友となり……斬新な発想で描く波瀾万丈の物語。 大学の先輩後輩、江戸川乱歩と杉原千畝。まだ何者でもない青年だったが、夢だけはあった。希望と不安を抱え、浅草の猥雑な路地を歩き語り合い、それぞれの道へ別れていく……。若き横溝正史や巨頭松岡洋右と出会い、新しい歴史を作り、互いの人生が交差しつつ感動の最終章へ。「真の友人はあなただけでしたよ」──泣ける傑作。 小説家の門井慶喜さんのコメントです。 楕円形の歴史小説 門井慶喜  江戸川乱歩の業績はよく知られている。「二銭銅貨」や「D坂の殺人事件」などの短編で日本の推理小説の基礎を築き、少年探偵団シリーズで人気を博して別格の存在感を示した。昭和40年(1965)に没したあとも現在に至るまで読者が多く、その生涯についても伝記や評伝が何冊も書かれている。  あるいはまた、杉原千畝の業績も。第二次大戦中、外交官としてリトアニアのカウナス領事館にいたとき、大勢のユダヤ人を含む難民たちにビザを発給して国境を通過させた。その生涯を記した本はやはり多く、テレビの教養番組などでもしばしば「命のビザ」とか「東洋のシンドラー」とかいう手短な語句とともに取り上げられる。  つまりは、どちらも歴史上の有名人である。しかしその二人を組み合わせて一つの物語にするという発想はこれまでになく、もっぱら青柳碧人の独創にかかる。『乱歩と千畝─RAMPOとSEMPO─』はまったく新しいタイプの歴史小説なのである。  さて、一見どこにも接点がなさそうなこの二人、はじめて会ったのは、早稲田大学の近くの三朝庵という蕎麦屋だった。  たまたま相席になったのだ。ただし年が六つ違う。乱歩はもう早稲田を卒業している。けれども会社づとめが性に合わず、このころは昼は団子坂で古本屋をやり、夜は屋台を引くという不安定な生活をしていて、その屋台で出すものを考えるため、この店評判のカツ丼なるものを...

自分で調製するクエン酸消臭剤

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  私は洗濯の際、レノア超消臭クエン酸inを使っていました。 クエン酸水溶液なら自分で調製できるのでは?と思い、試してみたところ簡単にできることが分かりました。 効果はばっちりだし、無香料だし、また、リーズナブルです。 是非、皆さんも試してみてはいかがですか? レノアクエン酸in超消臭 レノアのHPに次の商品説明があります。 「すすぎ時の水質(pH)を変えてクエン酸の消臭効果を最適化することで、タオル・衣類に蓄積したニオイをはがす新発想の「すすぎ消臭剤」です。  洗剤に加えて、クエン酸inを柔軟剤トレイに入れるだけで、古いタオルも新品ニオイへ!」 以上 レノアHPから 私は洗濯に液体せっけんを使っています。 消臭剤や柔軟剤は使っていませんでした。 でも、レノア超消臭クエン酸inのアイデアに興味を持ち、実際に使ってみました。 洗濯機の「柔軟剤ポケット」に入れるだけです。 すすぎの時に「柔軟剤ポケット」から自動的にすすぎ水に投入してくれます。 乾燥したタオルはふわっと柔らかいし、いつまでも臭いが付きません。 それまではタオルの臭いが気になると酸素系漂白剤でリセットしていましたがその必要がなくなりました。 クエン酸水溶液なら自分で調製してみよう とても気に入って使っていましたが、ふと、「クエン酸水溶液なら自分で調製できるのでは?」と思いつきました。 その理由は (1)詰め替え1回分(380mL)のパックが500~600円です。 高くないようですが、ほぼ10日で使い切ります。 1ケ月に1500~2000円、それにパックのゴミが出ます。 (2)私は爽やかシトラスの香り(微香性)を使っていましたがそれでも香りがします。 (3)クエン酸水溶液ならサラッとしているはずなのに、添加物が入っていてねとっとします。何が入っているのか分からず嫌です。 こう見えても私は若い頃、水の分析の専門家でした。 試薬の調製はお手の物でした。 もう40年近く、実験室から離れていますがクエン酸水溶液の調製くらいならまだできます(できるはずです)。 クエン酸濃度はどのくらいだろうか?とレノア超消臭クエン酸inのボトルの裏を見ました。 成分として 消臭剤(クエン酸)、安定化剤、界面活性剤(ポリオキシエチレンアルキルエーテル)、㏗調整剤、香料 が記載されています。 さすがにクエン酸の具体的な含...

広島平和記念公園でグッときました

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  息子が小学高学年の時以来ですからもう約25年ぶりに広島を訪れました。 平和記念公園で小学生の姿におもわずぐっと来てしまいました。 広島二中の碑 「夏休みにどこに行きたい?」と聞くと息子のこたえは「広島に行きたい」。 「なぜ」と続けると「教科書にある『広島二中の碑』を見たい」とのこと。 そうした経緯でその年の夏の旅行は広島に行くことになりました。 中国新聞 ヒロシマの記録-広島ニ中 以下、上のリンク先(中国新聞 ヒロシマの記録ー広島二中)からの引用です。   広島市中区の平和記念公園の本川左岸にある慰霊碑は、おびただしい数の死没者を刻む。高さ一・五メートル、横五メートルの石碑の裏面をたどると、生徒三百四十四人、教職員八人の名前がある。「広島県立広島第二中学校」の戦災死者遺族会が三十八年前に建立した。死没者の多くは、原爆が投下された一九四五年に入学して間もない十二、十三歳の少年たちであった。  六学級からなる一年生は八月六日朝、碑が立て旧中島新町にいた。国家総動員法により、本川に架かる新大橋(現在の西平和大橋)東詰め、中島地区一帯の建物疎開作業に動員されていた。整列し、引率教師の訓示が終わろうとするころ、原爆投下機エノラ・ゲイの機影が頭上にあった。  爆心地から約五百メートル。少年たちは瞬く間に吹き飛ばされ、火の渦に襲われた。ある者はその場で息絶えた。意識を取り戻した者は、目の前の本川に飛び込んだ。  六日夕、捜しに入った母親は「水際に至る迄(まで)重なるように重傷の子供充(み)ち、水中のイカダにもたれて叫ぶのもあり」と、光景をとどめた。七日朝に着いた父親は「屍(しかばね)は既に膨張し、どれもこれも同じ様な容貌(ぼう)」と、焼け残りの着衣やベルトで息子を確かめるしかなかった。  全身やけどで自宅にたどり着き、また救護所に運ばれた少年たちは、ひん死の中で父や母の名を呼び、友らの身を案じた。声を振り絞って軍歌を歌い、「天皇陛下万歳」を唱えた。「国のために尽くすことが当然という時代、教育でした。それでも、あこがれの二中に入学でき、懸命に生きていました」。八十代後半になる母や、応召や動員体験を持つ兄や姉たちは感慨を込めて話した。  今回の「遺影は語る」は、広島二中の碑に刻まれた一人ひとりの最期を追った。学制改革の翌四八年に芸陽高校、四九年に現在の県立広島観音高校とな...

九重連山の平治岳で圧巻のミヤマキリシマ

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ミヤマキリシマを観に九重連山の平治岳(ひいじだけ)に登ってきました。 10年に一度と言われるほど見事に咲きほこったミヤマキリシマに息をのみました。 出発は長者原 九重連山の登山口の一つ・長者原(ちょうじゃばる)から登ります。 数日前は雨模様でしたが一昨日から回復。 この日も絶好の登山日和です。 長者原から九重連山の山々が見えます。 「で、どの山に登るん?」 「さぁ」「さぁ」「さぁ」 高齢者の遭難が増えるはずです。 「まさかあんな所まで行くはずない」 「気のせいやろ」 などと言いながら出発です。 急な上りで、私たちが通り過ぎた直後に大きな木が登山道に倒れてきました!! タイミングが少しずれていたら木の下敷きになるところでした。 木には葉っぱがあり枯れた気配はありません。 でも、根が腐っていたようです。 自然に入ると何が起こるか分かりません。 単独行ではなくパーティーを組んで山に入ることが大切だと実感しました。 樹林帯の中で、登り始めた長者原がよく見える場所があり、休憩。 それにしても見晴らしのいいところがあったもんだと思うと、長者原を見通せるように伐採していました。 国立公園なのに伐採していいのか?と疑問を持ちました。 そう言えば友人から「日本の樹林は伐採してもすぐに元に戻ることから環境省も伐採を認めるようになった」と聞いたことを思い出しました。 雨が池 登りきると広いくぼ地に出ます。 雨が池です。 この当たりは雨が降ると池になるから「雨が池」なのだそうです。 周りの山からセミ(エゾハルゼミでしょうか)や鳥の声が聞こえます。 気持ちのいい風が通り過ぎていきます。 一緒に登った友人と並んで写真。 雨が池を過ぎた峠が雨が池越えです。 そこを少し下ると見晴らしのいいところがありました。 ここも伐採されています。 二つピークがよく見えます。 この山がこれから向かう平治岳だと聞き、「あんな所まで行くんか」という不安の声と「おぉ、山が赤い!ミヤマキリシマが咲いている!」の期待の声が錯綜します。 平治岳のピークのアップです。 遠くからでもピンクに染まっていることが分かるほどのミヤマキリシマの群生です。 坊がつるも見下ろすことができます。 気持ちの良さそうな平地です。 テントも沢山張っています。 坊がつるに連泊する登山者も多いそうです。 坊がつる 坊がつるに行ったことがなくても「坊が...