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歯を一本失ってしまいました

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虫歯は沢山経験してきましたが、いままで歯を失ったことはありませんでした。  でも、今日抜歯し、歯を一本失ってしまいました。 歯周病 5,6年ほど前から左の上の奥歯が浮いたような感じがしていました。 数週間もするとその感じもなくなり、気にならなくなりました。 そんなことを繰り返していました。 4年前、虫歯の詰め物がとれました。 それまでの歯医者さんが(こう言っては何ですが)腕が悪かったので、新しいお医者さんにかかりました。 その時、「歯周病ですよ」と指摘されました。 「左の上の奥歯は既に土台となる骨が溶けています。回復しません。」と言われました。 「抜く、抜かないはご判断ください。 すぐにどうなるわけではありませんが、放置しておくと他の歯にも悪い影響が出ます。」とのこと。 ずるずるとそのままにしてきました。 いや、毎日丁寧に歯磨きしているとひょっとするとよくなるのではないか、と淡い期待を持っていました でも、最近、その歯の存在感を意識するようになりました。 思い切って今日、抜歯をしてきました。 私の口腔から離れた臼歯を見ると無残でした。 全体に黒っぽい色になっていました。 3本の根もボロボロでした。 写真を撮っていますが、とても皆様にお見せできるものではありません。 臼歯であり口腔内はそれなりの喪失感があります。 歯のお手入れ 4年前に新しい歯医者さんに行き始めてから、歯のお手入れもしてもらうようになりました。 いわゆる歯石除去ですね。 年に3回か4回、同じ歯科衛生士さんに担当してもらっています。 もっと早く、歯のお手入れを始めていればよかったのに、と残念です。 8020運動 「8020(ハチマルニイマル)運動」とは?|8020運動|啓発活動|日本歯科医師会 (jda.or.jp) 「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動です。 20本以上の歯があれば、食生活にほぼ満足することができると言われています。 そのため、「生涯、自分の歯で食べる楽しみを味わえるように」との願いを込めてこの運動が始まりました。 人の永久歯は28本から32本程度だそうです。 親知らずが出ないこともあり、ばらつきがあるんだそうです。 今日、1本失いました。 私の永久歯が28本だとしても、それでもまだ27本残っています。 残っている歯を大切にしていきたいと思っています。 リタイア生活

谷中から不忍の池までぶらり散歩

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  和田秀樹さんは「高齢者には初体験が有効です。」と言います。 毎日の散歩でも、途中でちょっとだけコースを変えてみる。 そうすると今までとは違った風景が広がる。 初体験だそうです。 私は東京で泊まる際は銀座線沿線を選びます。 今回は趣向をかえて日暮里で泊まりました。 朝の早い時間に谷中から不忍池まで散歩をしました。 するとほっこりする風景に出会うことができました。 谷中と言えば夕焼けだんだんと谷中銀座 ホテルを朝6時前に出発。 10分ほど歩くと夕焼けだんだんに着きます。 夕焼けがきれいな階段です。 昼間から夕方にかけては沢山の人がいるはずですが、早朝ではこの通りです。 夕焼けだんだんの先に谷中銀座があります。 早朝なので店は開いていません。 残念。 また、次の機会には夕方に来ることにしましょう。 お寺の門前でハヒフヘホー 谷中銀座のゲートから南の方に進路をとりました。 歩いてすぐ、思いもよらない風景に出会いました。 お寺の門の前にバイキンマン! どうしたらこうした発想になるのでしょう? アンパンマンに詳しくない人がいらっしゃるかもしれません。 「ハヒフヘホー」はアンパンマンに出てくるバイキンマンの笑い声です、念のため。 お店の名前もユニークです 喫茶店は「ひみつ堂」。 店前の看板には店名と「魔夏」の色紙。 確かにこの夏の暑さは異常ですから「盛夏」では生ぬるい。 悪魔の暑さ 「魔夏」とはいい表現ですね。 色紙の周りには夏らしいメニューが並んでいます。 骨董店は「あやかし堂」 なんだか漫画に出てきそうな名前です。 お食事処は「大使館」 この当たりには大使館などなかったと思うのですが不思議な名前です。 もんじゃお好み焼きの「ねづ味」 場所が「根津」というのは分かるのですが、「味」を付けると「ねずみ」と同じ音になり、ドキッとします。 ねんねこ神社 猫は神様からの預かりもの 坂を下るように歩いて行くと前方に軒先が賑やかな民家を見つけました。 「ねんねこ神社の縁起」 当神社は、ご利益をお約束する社ではありません。 世界中の愛猫家が、この地(谷中)に集い、「猫は、神様からの預かりもの、寿命を全うしたら神様にお返しする」という気持ちでお祈りしていただけたら幸いです。 「ねんねこ神社では、15歳以上天寿を全うした猫さんを「ご長寿猫さん」としてお写真を掲示し毎日お祀りさせていただいてお

フクシマのいまはどうなっているんだろうと思い訪れました

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  2011年3月。東日本大震災の津波が福島原発を襲いました。 放射性物質を世界中にばらまく大惨事が避けられない、日本はどうなるんだろうと国民、いや、世界が固唾をのんで「フクシマ」を写すテレビ画面にかじりつきました。 あの不安な日々から13年。 ふと、フクシマは今どうなっているんだろうと思い7月末に訪れました。 高速道路には放射線量の測定器 写真では小さくてわかりませんが、高速道路脇に放射線量の計測器が設置され運転手に放射線量を知らせます。 現在の放射線量(空間線量率) ~モニタリングポストによる測定結果~ | NEXCO東日本 常磐道を利用される方へ (jobando.jp) いよいよ原発事故現場に近いんだ、と緊張します。 広い範囲が帰宅困難区域 町のあちこちに「帰宅困難区域」の看板が立ち、道路は柵でふさがれています。 大熊町、双葉町や浪江町などはいまでも帰宅困難区域に広く指定されています。 【東日本大震災】福島の帰還困難区域、7市町村300平方キロメートル - 日本経済新聞 (nikkei.com) 今でもこんな広範囲で帰宅困難区域が指定されているとは思っても見ませんでした。 新たに造成された臨海工業地帯と見まがう一帯が広がっています。 津波で壊滅した集落があったところです。 震災瓦礫は撤去され、きれいに区画整理をしています。 ここに集落があったとは想像できません。 この一帯も帰宅困難区域に指定されていて、かつての集落の賑わいが戻ることはありません。 ここでも放射線量の測定器が設置されていました。 原発に近かったこの辺りの放射線量は高かったそうです。 表層土を約3mの深さまで掻きとり、汚染されていない土壌を入れました。 そのため、放射線量は低くなっています。 福島県内のほかの地域よりも低いそうです。 暑い中、除草作業をしていました。 刈り取った草は未だに焼却ができないため、フレコンバッグに詰め、一時保管場所に移送していました。 これでは農業ができません。 原発事故の復興は未だ緒に就いたばかり 原発事故はもう過去のものと思っていましたが、13年が経っても原発事故の影響が広い範囲に残り、解決のめどなんてまるで立っていません。 さらに世界でも前例のない困難な取り組みである燃料デブリの取り出しを含む廃炉作業はいつ終わるのか、人類の科学技術で解決できる課題なのか誰も分かり