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今年の一品 ののじのマルチワイヤースプーン

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  今年もいろいろなものを買いました。 一年を振り返って「今年の一品」と思い浮かべるのは朝の味噌汁作りに重宝した味噌マドラーです。 今まではしゃもじで味噌を溶いていました 今までは、しゃもじで味噌をとり、味噌こしの中で溶かしていました。 味噌を溶かしても、大豆のかけらが残ります。 私は、その大豆のかけらをみそ汁に入れていますが、味噌こしの中に残っていました。 味噌マドラー 何かの拍子で「味噌マドラー」というものがあることを知りました。 私はののじ 味噌 計量 マルチ ワイヤースプーンを買ってみました。 Amazon|ののじ 味噌 計量 マルチ ワイヤースプーン 食洗器対応 WSV-M01BK ブラック|計量スプーン オンライン通販 早速、勝手使って見るととても使いやすいんです。 味噌を溶かしてみましょう 味噌マドラーは、ワイヤーで半球を形作っています。 マドラーで味噌をすくい取ります。 そのまま鍋の中の玉しゃくにポンと味噌を落とし、マドラーで混ぜて溶かします。 ダマにもなりにくく溶かしやすいですね。 味噌こしの中だとしゃもじが動かしにくかったのですが、玉しゃくと味噌マドラーの組あわせは動かしにくいこともありません。 さ、朝ごはんです みそ汁ができたら早速朝ごはんです。 具だくさんの味噌汁に納豆、焼き海苔、かぼちゃの煮物。 朝の味噌汁作りがとても簡単になりました。 毎朝の味噌汁作りです。 ちょっとした工夫のある道具で一層手軽に作ることができるようになりました。 世の中にはいろいろな道具があるものだと、改めて驚きました。

「蒼天見ゆ」(葉室麟)を読みました

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  年末の風物詩「忠臣蔵」。 今年も「忠臣蔵」がBSで放映されていました。 宿敵吉良上野介を討ち取った後、亡君浅野内匠頭が眠る泉岳寺までの約10kmを堂々と更新しています。 そしてその赤穂浪士の隊列に向かって江戸庶民が喝采を送る場面では、こちらも拍手を送りたい気持ちにさせられます。 江戸時代にはその権利が認められ、また、武士の誉れとも言われた「仇討ち」。 最後の「仇討ち」を題材にした「蒼天見ゆ」を読みました。 「蒼天見ゆ」葉室麟 [角川文庫] - KADOKAWA 角川文庫のHPに次の紹介が載っています。 「父の無念を 晴らせるか。日本史上最後の仇討ちを描いた歴史長篇。 時代が変われば、生き方も変わるのだろうか――。 武士の世が終わりを告げたとき、“最後の武士”が下した決断とは。 一生を、命を、そして武士の矜持を懸けて挑んだ、日本史上最後の仇討ち! 日本中が開国と攘夷に揺れる時世。 西洋式兵術の導入を進めていた秋月藩執政・臼井亘理は、ある夜、尊攘派により妻もろとも斬殺された。 だが藩の裁きは臼井家に対し徹底して冷酷なものだった。 息子の六郎は復讐を固く誓うが、明治に入り発布された<仇討禁止令>により、武士の世では美風とされた仇討ちが禁じられてしまう。 生き方に迷い上京した六郎は、剣客・山岡鉄舟に弟子入りするが――。 時代にあらがい、信念を貫いた”最後の武士”の生き様が胸に迫る歴史長篇。 「青空を見よ。いかなる苦難があろうとも、いずれ、頭上には蒼天が広がる。そのことを忘れるな――」     以上 角川文庫HPから 最後の仇討ちは明治13年に行われました 最後の仇討ちは秋月藩家老・臼井亘理の長男・臼井六郎によって行われました。 1968年(慶応4年 秋に明治元年) 秋月藩執政臼井亘理は大久保利通からも嘱望されるほどの開明派であったが、守旧派の反感を買い、国家老吉田悟助の命を受けた干城隊の襲撃を受け、妻ともども残忍に殺害されました。藩の裁定は臼井殺害の犯人を罰せず、かえって臼井家を罰する不合理なもので、亘理の息子臼井六郎は周囲の反対にもかかわらず、敵討ちの決意を固めました。 1873年(明治6年)2月、司法卿・江藤新平が出した「復讐禁止令」により敵討ちは禁止されました。武士は士族となり、廃刀令によって帯刀も認められず、自らの存在意義を見失おうとしていました。